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ニューヨーク郊外だより(4)         2001

娘のイスラエル留学 1,1.2001

私どもの大学三年になる娘は、ヘブライ語とユダヤ教の勉強のため、現在イスラエルのベングリオン大学に留学している。当初は1年の予定であったが、紛争の広がりで、セメスターだけで切り上げ、1月からアメリカの大学に復帰することになった。
予定を早めるにあたって本人はとても悩んだようだ。逃げ出すような形で帰国することは、イスラエルの存在を認めず、あらゆる方法でその破壊に全力をあげているテロリストたちの思う壷だと彼女はいった。

ニュージャージ州ほどの、小さな領域を広大なアラブ諸国に囲まれ、常に平和を脅かされながら、それでも近隣諸国で唯一の民主国家として、不条理と闘っているイスラエルのありように接した今、背を向けるような形で去ることに自責の念を感じるとも彼女は言った。
自分たちがが本人の立場だったら同じようなことを言うかもしれないと夫と話しあいながら、それでも親としては紛争に巻き込まれでもしたらと心配でならず、何度も電子メールでその旨を伝えたものだった。娘はまた今回のイスラエルの滞在で、センセーショナルな報道の下に隠された様々な現実を目にして、新聞やテレビのニュースを鵜呑みにしてはいけないことも学んだともいっていた。

私もかってアメリカで初めて生活した時、人生観が変わるような思いでそれまでの自分の無知に気付かされたことがある。娘にとっても激動のイスラエルでの半年は、人生の数年にも値する経験になったようだ。それを考えると、目的なかばの帰国とはいえ学ぶことは多かったのではないかと思う。
新しい年がイスラエルに住むすべての人々にとって平和な年となるよう、心から祈らずにはいられない 。   

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開村300年を迎えるスカースデール 1.19.2001

スカースデール・ヴィレッジは今年開村300年を迎える。現在、元村長のウォーター・ヘンデルマンさんや元教育委員長のコーキー・トンプソンさんが中心となって各方面に呼びかけて様々な記念行事を計画中だ。 スカースデールの歴史は、1660年にジョン・リッチベルがシワノイ・インデアから購入した土地を、カレブ・ヒースコートが1701年に購入し、英国大室の荘園とした時に始まっている。その際、ヒースコートは、生まれ故郷、ダービーシェアにある「ザ・ハンドレッド・オブ・スカース(ごつごつした岩)デール(谷)」に因んでこの名前をつけた。1712年の人口調査では、村の人口は12名、うち7名は奴隷であったと記録されている。

村には18世紀に建てられた建物がまだ幾つか現存していて歴史的なたたずまいと落ち着いた雰囲気を醸し出している。中でもスカースデール歴史協会として保存されている「ガドナー・ハイヤット・ハウス」や「クエーカー・ミーティング・ハウス」では、当時の家の作りや農業中心の人々の生活を偲ぶことが出来る。 スカースデールの人口は、ヴィレッジとして始めて住民主権の自治体が成立した1915年当時で約3000人程度。急増するのは、1924年に国内で最初のハイウェイ、「ブロンクスリバー・パークウェイ」が開通してからで、1950年の連邦調査では13、156人となっている。1999年度は、18、693人で、これは、10年前の6%増、じょじょにではあるがまだ増加していく傾向を見せている。
今年からスカースデール歴史協会の理事になったことから村の歴史を学ぶ機会に恵れてれて興味深い。因みにスカースデールが開村した年は、日本では赤穂城主浅野長矩(ながのり)が江戸城中で吉良義央(よしなが)に切りつける事件のあった年である。

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続「アメリカの中絶論争」
  1.19.2001

ブッシュ大統領は、就任後初の仕事として、1月22日、人口妊娠中絶を推進、または容認する国際的な家族計画団体に対して政府援助を停止するという大統領令に署名した。この日は、連邦最高裁が1973年に、中絶は合法とする判決(Roe vs. Wade) を下した日から丁度28年目にあたっていたことから、大統領が特にこの日に新政権の初の重要政策として、前政権の政策を覆えしたことは、中絶に反対する人達にとって素晴しい朗報であったようだ。

同じ日、首都ワシントンでは、大規模な中絶反対デモが行われたが、ウェストチェスターから参加した約千人のうちの一人、牧師のラリー・パオリセリさんは、「大統領の政策に大賛成。問題は、大衆が彼のメッセージをどれだけ理解出来るかだ。」と言っていた。ニューロシェルの高校生、マシュー・ビスコンティさんは、新聞のインタービューに答えて、「政治のことは、よくわからないが、デモに参加して中絶がどんなに悪いことか、人々に理解させることが出来たような気がする」と語っている。

一方、国民の統合を唱えながら、初の重要政策に大統領が中絶反対を掲げる共和党の主張に沿った政治性の強いものを選んだことで、民主党、女性団体などからの批判も強い。ハリソン地区選出の民主党下院議員、ニタ・ローイさんは、「いまだに妊娠が原因で死亡する多くの発展途上国の女性たちの現実を考えると、この政策は全く非人道的」と言っている。

大統領が、中絶や銃規制に断固反対の立場を取り続けたきたアシュクロフト前上院議員を司法長官に指名したことも、各方面から強い反発を呼んでいる。ナショナル・オーガニゼーション・フォー・ウィメン(NOW)のウェストチェスター支部代表、ベス・レイビーさんは、「彼の指名は、歴史を逆行するもの」としてあらたな闘いをはじめると言っている。アメリカの妊娠中絶論争は、とどまる所を知らず続いていく感じだが、私自身に限っていえば、 個人的な問題を他者がこれほど公に云々することにいまだに理解出来ないものを感じている。

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日本の誇り、杉原千畝さんのこと
2.2.2001

今、グリニッチ日本人学校近隣のユダヤ系のグループによって杉原弘樹氏を招待する計画がすすめられている。氏は、日本行きのビザを発行してポーランド系のユダヤ人をホロコーストから救った元リトアニア副領事、杉原千畝氏のご長男。千畝氏の業績を賛えたいとする各地のユダヤ系グループからの要請に答えて4年前から「命のビザ財団」という組織を設立、講演などに奔走されている。

計画を推進しているバーバラ・メッセさんの話によれば、今回の対象はユダヤ系の人たちだけでなく、杉原千畝氏の偉業がいかに海外で評価されているか、日本人にも実際にその声を聞いてもらいたいとして、日本人学校、日本人コミュニティにも積極的に参加を呼びかけると言う。
私は、1991年、OCSに杉原氏の未亡人、幸子夫人を訪問したこと、没後なお回復されてない氏の名誉に対する疑問、日本とリトアニアの国交が樹立した際、ニューヨークにたちよられた鈴木政務次官にお会いしたいきさつ、などについて何回か本紙に書いたことがある。当時、氏の業績が海外で高く評価されているにかかわらず、日本で殆ど知られていないことに苛立ちを感じた覚えがある。その後、幸子さんのお書きになった「6千人の命のビザ」をはじめ、氏に関する多くの書籍が発行され、最近では岐阜県 八百津町に記念館が設立、教科書にも載り、外務省からは正式に名誉が回復されるなど、評価も正当になってきてとても喜んでいる。
 
ダイアン・ヴィカリさんのドキュメンタリーフィルム、「杉原:親切の陰謀」は、昨年度のハリウッド・フィルム・フェスティバルでドキュメンタリー部門最優秀賞に輝いたが、このことも、海外での氏の名声をこれまで以上に高めさせる要因にしている。今回の講演では、この映画の鑑賞も予定されているという 。

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「ゲット・レディ!」3.2.2001

大学進学を控えているアメリカの高校生にとって、SAT(標準テスト)の結果はどの程度の大学を目指すかの一応の基準になるので重要な関心事である。そのため、点数をあげるための準備コースが、様々な民間の機関によって提供されているが、有料なので、経済的に受けられない場合も多く、裕福な家庭と低所得層の生徒にはこの面でも大きな隔たりがあるようだ。

スカースデール高校からハーバード大学へ進んだジニー・ラングさんは、3年前、経済的に恵まれない生徒たちのSATの準備コースを自分たち大学生がやれるのではないかと思いつく。そこでスカースデール高出身の大学生や教師に夏休みに時間を提供して欲しいと呼びかけたところ、17人がそれに応じたため、その人たちで「ゲット・レデー!」という組織を設立。専門家の協力を得て独自の教科書を作り、指導法などを学んだあと、まづ近隣の町、マウントバーノンから始めることを決める。教科書などに必要な紙代、コピー代などはすべて近くの商店や企業の寄付で賄った。
マウントバーノン地区を最初に選んだのは、スカースデールと較べた平均点の違いがあまりにも歴然としていたからだという。最初の呼びかけに応じて集まった15人の生徒をかわぎりに、活動はその後他の地域にも広がり、これまでに250人の生徒にSATコースを提供した。今年から、ハーバード大学のあるボストン近郊、エール大のニューヘブン近郊でも開始され、今後全米に広がる勢いであるという。
ジニーさんは、「ゲット・レディ!」の成功の秘訣は、「教える側が大学生なので、年齢的に生徒に親近感を与えやすいこと、自分もまた数年SATで苦労したばかりなので、教えられる側の気持ちがよく理解出来ること、殆どが個人指導か、少人数なので質問がしやすいこと」などをあげている。彼女はまた、「点数があがることで共に喜びあえることもさることながら、こんな形で経済的に恵まれない人たちの将来に何らかのインパクトを与えられることに意義をを感じる」と語っていた。

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スカースデールで垣間見た住民の人種間偏見  3.16.2001

1年半ほど前、スカースデールにあるカトリック教会の前で信者の一人が交通整理をしていたポリスと言い合いになり、裁判ざたになるという出来事があった。このほど、ポリスが信者への嫌疑を総て取り下げたことで一件落着となったが、この件に関して寄せられた地方新聞への投書から、いまだに根深い住民どうしの偏見をかいま見て興味深いものがあった。

先ず、信者側に同情を寄せる人が、カトリック教会が相手でなかったらこの件での警察官の扱いは変わっていたかもしれないと言う意見をだす。彼はまた、警察官と争った本人が、クリスマスの時期にキリスト生誕像(クレッシ)を駅前広場に展示する権利を最高裁まで訴えて獲得した人の息子でなく、政治の中心にある人たちだったら、もっと早い段階で解決していただろうと書いている。
すると、翌週、町の政治に関わっている人たちにユダヤ系が多いこと、それが「クレッシ」反対に通じると考えらているらしいこと、などを考えると、先の意見は、明らかにユダヤ人を非難するもの。こうした考え方こそが全体の偏見を増長するものだという反論が届く。
これに対してまた次の週には、この件は、この町に反カトリック思想が今だに強いと思っている人たちは少なくないという問題を提供しただけで、それはそれとして受け止めるべきという意見が載る。

私は、昨年町のヒューマンリレーション委員会で代表を勤めたので、活動を通していろいろな人たちと話しあう機会があったが、肌の色、宗教の違いに関わらず、大半の人たちが、自分たちは偏見の対象になっていると考えていることが分かって考えを新たにした。しかし、一方、今回の一件にもみられるように、相手に対する自分の偏見には気付かない人が少なくなく、様々な問題の本質はそこにあるという思いをあらたにしたものだった。

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トラディッション・ベアラー 3.30.2001

私はこの程、ウェストチェスター・アーツ・カウンシルと言う団体から、「トラディッション・ベアラー」と言う名前の賞をいただくことになった。ウェストチェスターで芸術の普及活動に貢献した個人や組織に与えられる賞の一環だそうで、4月4日、ライヒルトンで行われる本年度の授与式では、6人の個人と3つの組織が受賞の対象になっている。

「トラディッション・ベアラー」と言うのは、日本語で言えば、「伝統の継承者」ということにでもなるのだろうか。私の場合は、地域での日本文化紹介が対象になったと主催者にうかがったが、実際の所、私にお茶とかお花などの日本伝統文化の心得がある訳ではない。これまで多くの、そうした技術を持っていらっしゃる方を地域に紹介してきが、活動の目的は、文化紹介ではなく、紹介を媒介とした交流活動を通して皆様の地域への迅速な適応を支援し、相互理解を促進することにあるため、「伝統を継承する人」としての受賞には今も戸惑いを感じている。
私どもの日本文化紹介活動、「ジャパン・オン・ウィルズ」は、1993年、日本人学校に「教育文化交流センター」が設立されたのを機にはじめた活動である。5年後、予算が削減されてセンターを退いたあとは、ウェストチェスターの日米住民で「ジャパン・アメリカ・コミュニティ・アウト」と言う民間の非営利団体を設立し、その活動の一環として今も細々と続けている。活動に参加する人たちの顔触れは、帰国などで常に変化するが、「知らなかったアメリカの側面に触れる機会が与えられてよかった」とか「地域の方にお礼を言われるが、お礼を言いたいのはこちらの方」などと言う皆様の話しを聞くと、今さら活動を続けていてよかったと思う。今回の賞は、参加して下さった全員の善意と姿勢が認められたものとして、皆様に代わって有難く受けさせていただくことにした。

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乱射事件の背景
  4.13.2001

3月初旬にカルフォルニアで起きた15才の少年による乱射事件は、再び各地で様々な波紋を呼び起こしている。ウェストチェスターでは、インターネットで話しをしていて、乱射を予告されたという一学生の通報を受けて、エッジモント学区が一日総ての学校を閉鎖した。予告したコロラドに住む18才の男性は、その後逮捕されたが、数日後にはハリソンで「郵便局と学校を爆発する」という電話予告で6つの公立学校が休校となった。休校まではいかなくても、子供たちを早退させたり安全な場所へ避難させるなどの措置もあいついでおり、乱射、爆破予告は、コロンバイン高校のでの事件以来全米で現在までに5000件以上にのぼると言う。

こうした事件の波紋を受けてグリンバーグ地区では現在、住民の税金で学校にポリスを派遣させるという案が検討されている。この案は「子供を安心して学校に送り出せるし、住民とポリスの関係を密接にする上で役立つ」として歓迎される一方、「ポリスの存在は子供たちに威圧感を与え、教育の場にふさわしくない」として反対の声も多い。学区ごとに異なる規模に対して予算をどこから捻出し、どんな形で振り分けるかも大きな課題となっており、結果が出るのには時間がかかりそうだ。

「学校に何人ポリスが常勤していても問題の根本的な解決にはならない」と語るのは、知り合いで26才の白人女性、ジェシカさん。彼女は、「より厳しい銃規制も必要とは思うけれど、学校で乱射事件を起こしている子供たちの殆どが、裕福な家庭の白人の男の子であることを考えると問題はむしろこちらの方が大きいと思う」と言う。子供たちがこんな形で怒りを爆発させるのは、白人優位、男性優位の社会で経済的にも何不自由なく育てられた彼らにはこれまで耐えなければならないことが何もなかったからではないか、と彼女は言うのだ。そう言われてみると確かに事件には共通した背景があるような気がする。

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新たな出発
  4.27.2001

この9月からブロンクスビルにあるサラ・ローレンス大学の修士課程に入学する。学士取得後何十年も経っていて、こちらがその気でも先方で受け入れてくれないのではないかと心配していたが、この程合格の通知をいただいたので、2年間(途中で疲れたら3年になるかもしれないが)新たな生活に挑戦することになったものである。

専攻は、「ノンフィクション・ライティング」。これまで地方新聞などで論文やエッセイを発表してきたが、その都度もっときちんとした英語が書けたらと思い続けてきたのでこの際、集中的に勉強をしてみることにした。ここ10年程、いろいろな形で日米相互理解のための活動に参加し、2年前にはウェストチェスター日米住民でジャパン・アメリカ・コミュニティ・アウトリーチという非営利組織も設立したが、そうした活動を通して、文章による伝達、特に英語でそれを行うことの必要性を痛感したこと、自分の生い立ちを日本語の読めない子供たちに英語で残しておきたいと考えたこと、なども遅まきながら学生に戻る決心をした理由だった。

大学院で勉強をしたからといって、急に自分の英語がうまくなるとは考えられないが、きちんとした指導を受けることで、伝えたい思いがこれまでよりは楽に表現出来るようになるのではではないかと思っている。 子供たちが大きくなってから、大学や大学院に戻るという人たち、その後にあらたな職業について頑張っている人たちは周囲にも少なくない。弁護士のロナさん、司書士のジャネットさん、サイコロジストのウェンディさん、ソーシャルワーカーのリチャードさんなど、数え上げればきりがないくらいだ。私もそうした彼らの生き方に知らずに影響を受けてきたのかもしれない。いずれにせよ、幾つになってもあらたな出発の出来るアメリカをあらためてすばらしいと思う。

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満開の桜とサラさん
  4.27.2002

 ジャパン・アメリカ・コミュニティ・アウトリーチは、4月29日(日曜日)、スカースデール・ヒストリカル・ソサイアティとの共催で図書館の裏にある公園でお花見のイベントを行った。日本人コミュニティが1993年に寄贈した桜がきれいに成長したのを地域の皆様に見ていただこうという企画だった。参加者は満開の桜の下、花を愛でたり、お茶や着つけ、折り紙や書道、紙芝居を楽しんだり、俳句作りに興じたりと、それぞれにうららかな春の一時を楽しんでいた。
当日お花見にやってきた人の中に、特に心に残る一人の人がいた。イランからやってきたサラ・ハグビンさんで、彼女は、3才の時、母親どうしのいさかいの最中、突然相手に酸をかけられ、顔中を火傷、失明した。その容貌は、焼けただれたまま固くなった皮膚で、一見年齢の想像がつかない程。最初は、よほど年配の方かと思っていたが実際には14才で、一緒に酸をかけられた母親はその時の衝撃から立ち上がれず現在もまだ精神病院に入院中であるという。

盲学校にいたサラさんが、スカースデールに住むイラン系アメリカ人、ハランディさんの目にとまったのは3年半前。チャリティー活動でイランを訪れていたハランディさんは、「苦境にめげないサラさんの明るさに魅せられて、アメリカの医学を受けさせてやろうと決心した」と言っている。ヴィザの申請に2年以上の歳月を費やしたあと、昨年6月からサラさんを自宅に引き取った。ハラさんのお花見にもハランディさん夫妻が同行してこられた。
サラさんは、現在、イラン系アメリカ人のお医者さんたちに無料で、皮膚にくっついてしまっているまぶたがきちんと閉じれるような手術や、鼻で普通に息が出来るようになる手術などを受けている。何れは角膜移植などで、視力も少しは回復するかもしれないのだという。
満開の桜を今はただ本当に「手触り」でしか感じられないサラさんと接しながら、彼女の笑顔とその醸し出す不思議な明るさに言葉に尽くせない感動を覚えたものだった。

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一斉テスト・ボイコット 5.25.2001

今年3年目となるニューヨーク州教育省の一斉テストは、学区によって大幅に異なる教育水準などで、最初から評判が悪かったが、スカースデール学区では、この程、8年生の生徒の大半がテストをボイコットした。教育省のありかたに抗議するために、父兄が作ったSTOP(State Tests Opposed by Parents)と言う組織のメンバーが3ヶ月前から市民集会を開いて親に呼びかけたり、学校と話しあいながら最終的に子供たちのボイコットを実現させたもの。

一斉テストに断固反対の立場から今回のように「ボイコット」という強硬手段に出たのは、ニューヨーク州ではスカースデールがはじめてだという。「ストップ」の代表、レズリー・バーコヴィッチさんは、「他の所でもボイコットの話しは出ているようなので、スカースデールがその口火を切ったことで闘いやすい状況になってきたのではないでしょうか」と言っている。

「ストップ」メンバーで8年生の子供を持つ、デビ・ラパポートさんは、「教育省によれば、テストは子供たちの優れた面、弱い面を診断し、その後の指導に生かすとしているが、結果が出るのに1年以上もかかるのでは、競争心を煽るだけで何の意味もない」と話す。
「ストップ」では、学区の教育方針や水準などを無視した現在のやり方では、それぞれの学区の持つ特徴が損なわれることになるとして、今後は小学校4年生の一斉テストや卒業資格を取るためのリージェンツテストなどに対しても廃止に向けて運動を続けて行くという。
ボイコットは問題の解決にならないと、子供たちにテストを受けさせた人たちも少なくなかったが、そうした人たちも州教育省の一斉テストのありかたに疑問を感じている点では一致しており、今後も各地で様々な形の運対運動が展開されていくようだ。日本の文部省を思わせるような一斉テスト、アメリカの学校で徹底させるには無理があるのではないかという思いをまた新たに感じさせられる最近の出来事だった。                                                                           

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「パールハーバー」
 6.6.2001

アメリカ映画「パール・ハーバー」が一般公開される前日、ウェストチェスターのある新聞社から明朝の記事に必要なため、午後5時までに電話をくれと言うメッセージが残されていた。映画が描く「奇襲攻撃を行った卑劣な日本人」をどう思うかコメントが欲しいと言うものだった。帰宅をした時既に5時を回っていたので、結局電話はしなかったが、既に制作されている映画に対して今さら何を言えというのだろうと言う気もした。
アメリカに住んで30年、これまでも12月7日の真珠湾記念日は、毎年何となく居心地の悪い思いを感じていたが、今年は、デズニー社がメモリアルディ週末の一般公開に向けて作った映画の華々しい宣伝の影響もあって、テレビや新聞でも当時の様子を特集するなど、例年になく早くその日がやってきたと言う気がする。

翌日のライティングのクラスでもこの映画のことが話題になった。私は、そこで「ハリウッド製の映画とはいえ、戦争に勝者はいないということを若い世代に伝える意味で意義があるかもしれない」という意見を述べた。すると、生徒の一人、ジョイスさんが、「善悪がはっきりしているように見える真珠湾攻撃は、ストーリーとしては面白く、観客受けするのかもしれないが、アメリカ政府が事前に攻撃を知っていたことや、通告の手違いで実際は奇襲ではなかったことが明らかにされはじめている今、映画とは言え通説に拘泥するのはアメリカのためにもよくないと思う」と言った。
私はこれまで近くの教会で行われた日米合同の真珠湾の追悼に日本人の参加を呼びかけたり、毎年スカースデールで行う広島や長崎の犠牲者に対する追悼にはアメリカ人と一緒に参加するなどの活動を続けてきた。そうした中で真面目に歴史に取り組む多くのアメリカ人の存在を知ったが、一方で、主な筋書がラブストリーとは言え、真珠湾攻撃を背景にした映画が、エンターテイメントとして成功することに、時代の流れを感じる。                   

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同性愛者を排斥するボーイスカウト
 6.22.2002

連邦最高裁が、ボーイスカウトは民間の組織であるため設立趣旨に沿わないゲイのリーダーを排斥するのは違法ではないとする判決を下してから10ケ月、判決に賛同出来ない人たちによって様々な動きが展開されている。

「シンドラーのリスト」の映画やホロコースト生存者の証言をドキュメンタリーフィルムに収めて人種偏見のもたらす恐ろしさを世に訴え続けているスティーブン・スピルバーグ監督が、「ゲイの差別は、偏見の増長に繋がる」として、スカウト本部の理事を退いたことをはじめ、ユナイテッドウェイ・ウェストチェスター支部など、資金援助を打ち切ることでスカウトの方針に強い姿勢で対抗する団体も増えている。子供たちを脱会させた親も少なくない。

ウェストチェスター・リフォーム・テンプルで4月下旬、「ボーイスカートの差別方針に異議あり」というタイトルでパネルディスカッションが行われた。最初に挨拶にたったラビ(ユダヤ教会の指導者)のジェコブさんは、「同性愛は、ライフスタイルではなく、生まれながらのもの。それを排斥しようとするスカトのやりかたは間違っている」と話した。続いてスカウトをニュージャージの最高裁に訴えたジェーム・デールさん(ここではデールさんが勝訴。それを不服として、スカウト側が連邦最高裁に訴えた。)の弁護士だったウォルフソンさんが、「長年優秀なメンバーだったデールさんをゲイ というだけで追放したスカウト指導者の考えは時代錯誤。より多くのメンバーが脱会するか、各地区のリーダーに決定権が与えられるよう運動を展開してその誤りを正すべき」と語った。

地方新聞の投書欄にもその後、スカウトを非難する声が相次いだが、モラルのないゲイに子供たちを任せるなど、とんでもないとする強い反論もあり、同性愛者に対する偏見の根の深さにあらためて心の痛みを感じた。

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アイルランドの飢饉
7.62001

およそ3百万の人たちが飢えのために死亡するか、食を求めて国を離れたアイルランドの飢饉から160年、その犠牲者を追悼するための記念碑がアーズレイ、アービントン、ドブスフェリー地区にまたがるマーシー・パークに建てられ、5月27日、除幕式が行われた。記念碑は、飢えに喘ぐ人たちの像や、寄生虫に食い荒らさて黒ずんだたポテトの彫刻など、当時の状況が見ただけで理解出来るようになっている。私も草を食べて口の中が緑色になって息たえていた人たちのことを何度か本で読んだことがあるが、実際にはもっと想像を絶するすさまじさであったようだ。1845年に始まった飢饉は、最終的にはアイルランドのほとんどの農地を腐らせ、約160万の人たちがアメリカに移住。その殆どはニューヨークに住んだ。アイルランドの現在の人口は約370万人で、この数は飢饉の前の半数にも満たないのだという。 

記念碑を手がけたアイルランド生まれの彫刻家、オドヘティさんは、飢えてアメリカに渡った人たちのことを伝えることで、何の理由であれ祖国を離れなければならなかった人たちの辛かった事情や、移民としてのその後の過酷な生活などを子供たちに知って欲しかった。出来れば記念碑は無言で見てもらいたい。」と話した。

記念碑制作発起人の一人、ジェームス・ホーリンさんも「飽食ぎみの現在、飢えがどんなことを意味するのか、こうした場所を通して子供たちに考える機会を与えたいと思った」と言っていた。 ウェストチェスター・カウンティ代表、アンドリュ・スパノさんは、「ウェストチェスターは、全米でも有数の裕福な地域と言われているが、それでも昨年だけで4百万の食事を恵まれない人たちに配っている。飢饉でなくてもお腹をすかしている人たちは少なくない。こうしたイベントは、恵まれている自分に感謝をしたり、他者のために何をすることが出来るか考えるのに良い機会だと思うと語った。

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お年寄りが活躍出来る地域社会
7.20.2001

私はスカースデール議会の諮問委員会で昨年まで4年間つとめた人的交流委員会に続き、今年は、高齢者委員会のメンバーになっている。自分自身がシニア・シティズンになるにはまだ少し時間があるが、これまでミールズ・オン・ウィールズ(お年寄りや体の不自由な人たちに食事を届けるプログラム)に参加したり、ジャパン・オン・ウィールズの活動で老人ホームやディ・ケア・センターなどを訪問してきた経験からプログラムを企画するにあたって何か役にたつことがあるかもしれないと思って仕事を引き受けたのだった。

高齢者委員会の主な活動は、村内の高齢者が必要としている様々な事項について議会に進言したり、高齢者のための様々なプログラムを企画、実践することである。実際の運営は村の職員が行うが、村にある幾つかの民間団体と協力してお年寄りの福祉更生につとめるメンバーのありかたから、アメリカ社会に根深い相互扶助の精神について学ぶことが多い。

メンバーは、高齢者委員会という名前の通り、80才前後の人たちが多いが、皆さんのエネルギーや知性はとても年齢を感じさせない。殆どが若い頃から社会的に、あるいはPTAや地域で活躍してこられた方で、そのボランティア歴も、若輩の私など比較の対象にならないほど。
委員長のガート・フォフハイマーさんは、数年前、村に最も貢献した人に一年に一度与えられる「シルバー・ボール」をもらった人だが、80才を過ぎた今もかくしゃくとして委員会の音頭をとり、幾つかの民間団体にも理事としてその名を連ねておられる。膝が痛くて毎日ゴルフが出来なくなったことが、不満としながら、ボランティア活動にかける情熱はいっこうに衰える様子がない。

スカースデールではフォフハイマーさんのように、高齢者のボランティア活動が珍しくないが、生き生きと活躍しておられる皆様の様子を見ていると、お年寄りが必要とされる地域社会のすばらしさについて改めて感じる所が多い。

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歴史の修正
 8.3.2001

スカースデール平和団体が過去20年近く毎年行っている原爆犠牲者のためのサイレント・ビジルが今年も8月4日、駅前の公園で行われる。私は、その時期友人のお嬢さんの結婚式でスコットランドにいて、今回のビジルには参加出来ないが、フライヤーを配布したり、関係機関に案内するなど、準備に携わっている。

団体代表のミッキー・シンセンさんは、ビジルの目的を、「犠牲者を追悼することで原爆の悲劇を繰り返させない」としている。時々、近隣の住民、特に第2次大戦に参加した退役軍人の人たちから、直接、あるいは新聞などの投書で、「原爆は、戦争集結を早めるのに必要だった。ビジル主催者は日本が行ったことを忘れている」などとと寄せられる苦情に対しても「アメリカは、絶対に原爆を使うべきではなかったし、これからも使うべきではない」という主張を覆えさない。「アメリカが犯した間違いを再び誰にも繰り返させないためにも、何らかの形で覚えておくことが必要なのだ。」と彼女は力説する。

最近、日本では中学校の歴史教科書の問題で、予定されていた様々な日韓交流のプログラムが中止された。「歴史を歪曲している」として修正要求をした韓国政府に対して、反応を示さなかった日本への対抗措置であると言う。批判の対象となっている教科書には、「対米国戦に追い込まれていった日本」などの記述もあってアメリカからの批判もあるとのこと。

「ホロコースト」について国として謝罪したドイツと違って、過去の精算があいまいな日本には、歴史を修正しやすい土壌があるのかもしれない。しかし、教科書問題は、「自分たちだけの被害を声高に叫んで、他者に与えた被害に目をつむる」というイメージに拍車をかけるようで悲しい。自分たちの国が行ったことをきちんと認識し、後世に伝えていくべきであるとしている日本の中の無数のシンセンさんの声が大きな力になることを祈らずにはいられない。

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平和が待たれるイスラエル
8.17.2001
ウェストチェスター・カウンティのエグゼキュティブ・ディレクター、(カウンティ行政の責任者)アンドリュー・スパノさん(民主党)は、時期選挙で同席を狙う共和党のローレンス・ホロウィッツさんの一行と共に、8月3日から1週間イスラエルを訪問した。11ヶ月前に始まったパレスティナ人とのあらたな紛争で激減している観光客を何とか呼び戻そうとU.J.A.(ユナイティッド・ジューイッシ・アピール)ウェストチェスター支部が企画した招待に応えたもの。

イスラエルに着いたスパノさんは、客のいない閑散としたエルサレムのマーケットを歩きながら、「紛争はイスラエル、パレスティナ双方に同じように打撃を与えている。」として観光客を呼び戻すには、お互いの平和への一層の努力しかないと語っている。
娘夫婦の家族がエルサレムに住んでいて最近訪問してきた知人のルース・ガーシャンさんは、こうした意見に対し、「国としての存在を認めず、一人でも多くのイスラエル人を抹殺するために自爆テロを奨励する隣人とどうしたら平和を共有出来るというのでしょう」と悲観的だ。彼女によると娘夫婦をはじめ、現在イスラエルでは平和解決の道をとざされて将来に夢を持てず、落ち込んでいる人たちが少なくないという。犠牲者としてのパレスティナ人の側面が強調されるあまり、(本紙のパレスティナに関する報道はその顕著な一例。)世論の同情がそちらに傾きつつあるように思われること、平和を強く望み、その達成に努力をしているにかかわらず、国の存続のためには攻められたら攻めかえすしかないという状況が、他の国の人たちには安易な武力行使としかうつらないらしいこと、などが人々を悲観的にさせていると彼女はいう。

折しも8月9日、エルサレムのレストランで、またもや自爆テロが発生、15人のイスラエル人が死亡、130人が負傷した。「命を粗末にしてはいけない」、「時間がかかっても何とか話し合いの道を探そう」とするリーダーが一日も早くパレスティナ人の中に出現し、イスラエルに耳を傾かせることを祈らずにはいられない。

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スカースデールのたたずまい
 8.31.2001

スカースデールではここ数ヵ月、フォックスメドー通りにある一軒の家が毎週のように地方新聞を賑わせている。この家を買い取った建築業者が出している新築計画に対して、付近の住民や歴史保存会、建設物委員会のメンバーなどが強力に反対をしているからである。
築77年になるコロニアル風のこの家を完全に壊し、2分の一エーカーの敷地内に新しく2軒の家を建てるという業者に住民が反対している最大の理由は、スカースデール・ミドルスールの教師で、町のヒストリアンでもあるアービン・スローンさんの言葉を借りると、「美的汚染」であるという。つまり、周囲の環境にマッチしない家屋の出現が伝統ある街のたたずまいをそこねてしまうと言うものだ。
スローンさんは、町議会で1930年に作られた「自然とマッチした街づくり」の規制の例をあげながら、住民が街をあげて環境保護に取り組んできたからこそ、スカースデールでは現在の街なみが保たれてきたのだとし、そのありようにそぐわない家屋様式には今後も断固反対するよう、議会に訴えている。

スカースデールでは、築100年以上と言う家が珍しくなく、これまで古い家の取り壊しや増築などにあたっては議会に任命された建築委員会、歴史保存委会などがずっと目を光らせてきた。しかし、メンバーの話では、歳月の流れで規制が年々緩和する傾向にあることは避けられないという。
今回の一連の報道で私は、緩和されているとはいいながらいまだに厳しいスカースデールの建築規制のありようと、街の環境保護に努めている人たちに対する認識を深くした。そしてまた、街の様変りが早く、周囲の環境にマッチしない建物が突然出現したりすることが少なくない日本との違いもあらためて感じてしまった。

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国連人種会議 9.14.2001

9月3日、南アフリカのダーバンで開かれていた国連の「人種偏見に反対する世界会議」からイスラエルとアメリカの政府代表団が引き揚げた。イスラエルを「人種差別国家」として名指しで非難しようとした動きに対し、断固、抗議の姿勢を示したもの。これに対し、同会議に参加したアフリカ系米団体は、「引き揚げは、米国内のアフリカ系やヒスパニックなど小数民族に対する侮辱」と政府を非難、各地の新聞の社説や投書欄などでも米国は途中で席を蹴ったりしないで辛抱強く最後まで討論を続ける責任があったのではないかとする意見が相次いだ。
一方、幼い頃、親戚の殆どをホロコーストで失い、現在は、スカースデールに住む弁護士のソニア・クーパーさんは、会議からの代表団の引き揚げを当然だったとしている。彼女は「人種偏見とたたかうことをうたいながら、偏見をあおるだけのようなこんな会議に何の意味があったと言うのでしょう。」と言っている。そして、「他民族はおろか同胞さえ迫害し、女性や子供の権利を奪って平然としている国の人たちが、不完全ではあっても少なくとも中東で唯一の民主主義国家であるイスラエルを公の場で堂々と「人種差別国家」呼ばわり出来るのは、各地に根深い反ユダヤ思想のせいとする。一人叩かれているイスラエルの様子を見ていると、問題があるたびに「スケープゴート」にされてきた忌まわしい自分たちの歴史が思い返されて本当に悲しいとも彼女は言う。 

「イスラエルとパレスティナの紛争は、非常に根が深く、どちらか一方を責めることで問題は解決しません。人種偏見とたたかうことが会議の目的であったのなら、政治をぬきにしてお互いが歩み寄る方法を模索することが出来たはず。折角の機会を有効に使えなかった国連の指導力のなさも問われるべきです。」と彼女は憤慨していた。

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多発テロ事件 9.28.2001

9月11日に発生した悪夢のようなテロ事件から10日。瞬時に瓦礫の山と化した世界貿易センターでは、いまだに6000人以上にのぼると言われている行方不明者の必死の救出作業が続けられている。 事件のあと私も日本から、アメリカの各地から、安否を気遣ってくださる方々からたくさんのお電話や電子メイルをいただいたが、あまりに強い衝撃でどんな言葉をもってしても心中の思いを正確には伝えることが出来ない気がしている。
自らの命をかけ無差別に大量殺人を犯してまで達成しなければならないほど大事なことが何であったのか、アメリカに対するこれほどの憎悪の深さがどこからくるのか、私にはとうてい理解出来ないからである。

事件の翌日,私どもの属するユダヤ教会では犠牲者のための特別礼拝が行われた。追悼の後、ラビのクライン師は、アラブ系アメリカ人をスケープゴートにしてはいけないこと、テロの目的をイスラエルに肩入れするアメリカに対する報復とすることで反ユダヤ思想が再燃されかねない危険性などについて語り、人々の冷静な判断が求められる時と話していた。

米政府は、今回のテロは米国に対する戦争行為であるとして、軍事報復のための戦闘態勢に入った。報復措置とはいえ、戦いがはじまることで、テロとは関係のない人たちがあらたな犠牲になることを思うとそれも悲しい。市民を巻き添えにしないテロリスト撲滅が達成されることを心から祈らずにはいられない。

今回の事件は、多くの人を絶望的な不安に陥れた。その一方で、消防隊やボランティアの懸命の救助、次々に寄せられる支援、お互いの助けあいの様子など、アメリカが持つ多様文化のすばらしは、一連のテロ行為などで破壊されるものではないことをあらためて確認させる一面もあったように思う。

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多発テロ事件(2 10.12.2001

ユダヤ暦で五七六一年にあたる今年の新年,ローシュ・ハシャナは、九月十七日,日没と共に始まった。我が家も久しぶりに帰ってきた子供たちを迎え、リンゴや蜂蜜、円形ハーラ(縄網状のパンー通常の安息日は楕円形)などを含んだ夕食をとり、その後シナゴーグの礼拝でショファー(角笛)を聞き,聖なる日を祝った。 十日後の贖罪日、ヨム・キプアーでは、ロシャ・ハシャナに始まる十日間の悔い改めの期間の最後を締めくくる日として、朝から日没までシナゴーグの礼拝に参加し、その間、24時間断食をして一年の行いを反省しながら過ごした。
シナゴーグでは人々の会話もラビの話も、9月11日の多発テロ事件に集中していた。テロリストの非道な行動に早急の報復を望む一方、テロとは無関係の人たちが犠牲になることへの危惧、戦いが長引くことで、またぞろ矛先がイスラエルに向けられ、結果的にアメリカの反ユダヤ思想の新たな台頭につながらないかという不安など、人々の焦燥はつきないという気がした。

メンバーの一人、ガーションさんは,「千九百七十二年のミュンヘン・オリンピックから最近の一連の自爆行為に至るまで、パレスティナ人が行ってきたテロ行為に対するイスラエルの軍事報復を「果てしない報復合戦」として同じレベルで扱うか、過激すぎるやりかたとして結果だけを問題視する傾向にあったことも、ある意味で今回の悲劇につながる要因になったのでは。」と言っていた。

今回の事件はあまりに衝撃が強すぎていまだに気持ちを正確に伝えられないもどかしさを感じるが、犠牲になられた多くの方々の死を無駄にしないために,悲劇が世界中のテロ撲滅のきっかけとなることを心から祈らずにいられない。

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多発テロ事件(3) 10.26.2001

10月17日,ウェストチェスター地区で行われた恒例のインターフェイス・ランチオンに参加した。宗教の違いを超えて、共通の問題を話しあうという試みのランチオンで場所はキリスト教会、ユダヤ教会,イスラム教会など毎年変わるが今年は、ウェストチェスター・リフォーム・センターが会場を提供した。

最初に挨拶にたったラビのアンジェラ・バックダールさんは、韓国人の母親,ユダヤ人の父親の間に生まれたことで、今でも時々,ラビどころかユダヤ人にも見えないなどと言われることがあるが、ラビには日本人もいるし、修業中の知り合いに中国系の人も何人かいて、アメリカのユダヤ人のイメージがどんどん変りつつあることなどを話した。

次いでNGO組織のインターナショナル・カウンシル・サイコロジスのメンバーとしてキーノート・スピーカーに招待されたセルマ・スペアさんが国連と、国連事務総長のコフィ・アナンさんがノーベル賞を受賞したことについて、組織が一体となった平和への努力と挑戦が評価されたとして一緒に仕事をしている者としてとても誇りに思うと話した。

スぺアさんは、ビルの爆破に続く炭そ菌を使ったテロなどで深まる社会不安が子供に与える精神な影響について講演。子供たちの不安は親たちが考える以上に大きいとして、のちのち心の傷を残さないよう,今最も求められているのは親子のより一層の精神的な結びつきであると強調した。テロにおののくアメリカの子供たち、爆破から逃げ回るアフガニスタンの子供たちを思うと、上空を飛び回るB29の通過を防空壕で息を殺して待っていた2歳の頃の自分の姿にダブって胸がつまる 思いがする。

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多発テロ事件の余波  11.2002

テレビ朝日のコメンテーターが、番組の中で「炭疽菌は、ユダヤ人が米メディアをコントロールしているために標的になった」と報道、この発言を問題とするユダヤ系人権擁護団体「サイモン・ウィーゼンソール」の抗議で訂正と謝罪を要求されたという記事を読んだ。記事は、反ユダヤの意図は全くなかったとして、その旨を番組の中で伝えるとする同テレビ局と、その対処を了解するとしながらも、有識ある日本人の中にいまだに燻っているユダヤ人に対する偏見が心配と言うクーパー・センター代表のコメントを載せていた。

ことあるごとに社会悪の元凶とされてきた歴史を持つユダヤ人にとって一連のビル爆破やそれに続く炭疽菌事件でまたぞろ台頭してきた「アメリカは政治,経済,メディアの主要部分をユダヤ人に牛耳られている」などの嘘は(最近では一連のビル爆破は、「イスラエルの陰謀」と言う人たちせいる)決して安易に聞き流せる問題ではない。こうした根拠のないデマは、私も「日本たたき」華やかりし頃、同胞に向けられた偏見で悲しい思いをした時以上に気になるものを感じる。

10月21日,パーチェス・カレッジで行われた エリ・ヴィーゼルさんの講演に参加した。ヴィーゼルさんは、一連のホロコースト作品でノーベル賞を受賞、現在は、執筆の傍ら積極的に人種偏見のもたらす弊害を説きつづけている人。講演のあと、参加者からいくつかの質問が寄せられたがその中に、「なぜ我々ユダヤ人はこうも嫌われなくてはいけないのでしょう」と言うのがあった。 ヴィーゼルさんは、その質問に対し,「それは嫌う当事者が答えるべき。安易に他人に責任を転嫁し、問題の本質に目をそむけていたら、個人にも国にも向上はあり得ないのだから。」と答えていた。

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性の社会向上に尽くす人たち
11.23.2001

ウェストチェスター・ファンド・フォ・ウィメン・アンド・ガールズの恒例の年次朝食会が11月15日、ライ・ヒルトンで行われ,昨年に続き準備委員会の一人として参加した。この基金は、企業や個人から寄付を集め、家庭内暴力から逃れるためのシェルターの完備とか、女性の独り立ちを助ける教育施設など、ウェストチェスター周辺で女性の社会向上に貢献している団体をサポートするため7年前に民間の非営利組織として発足した。朝食会では,新年度助成金の対象となった団体の発表、貢献度の高い個人や組織の活動の表彰、講演などが行われている。
今回表彰された7人の女性の一人、ドクター・スミ・コイデはワシントン州で生まれ,第二次大戦中は、アイダホの強制収容所で3年間を過ごした経験を持つ日系のお医者さん。マウントフォオア・メディカルセンターに勤務しながら、ウェストチェスターの数々の女性団体で女性の社会向上に努めたことが受賞の対象となった。ご本人は受賞の感想について、あたりまえのことをしただけと語っておられたが、淡々と話される静かな口ぶりの中に、秘めたれた闘士のようなものを感じ、日本人としてとても誇りに思った。

今年のキーノート・スピーカーは,前国務長官のマリリン・オルブライトさん。彼女の人柄のせいもあってか今年は,これまでの最高、約1000人近い人が朝食会に参加したが、もはや長官ではないので気楽に話せることが嬉しいとして,それぞれの国によって違う政治高官とのキスの仕方など、まず会場を笑いの渦にしながら本題に入った。その後, 世界の女性の社会的地位について話し,タリバンが女性に対して行っていた仕打ちなど、今後の世界では絶対許されてはならないことなどを強調した。彼女は現在,長官時代に作った世界中の外務大臣クラス(アフリカの国の人が一番多いとか)16人の女性のグループで定期的に話あいを続けているのだそうで、それぞれ出来る方法でこの問題に対処していこうと呼びかけていた。

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相互理解の輪 12.9.2001

11月29日、エッジモント学区のウィメン・イン・インタナーショナル・フレンドシップ(WIF) が主催したパネル・ディスカッションに参加した。WIFは、異文化での生活や子育てなどについて話しあったり、お互いに助け合うことを目的に1996年、同学区の有志によって設立された団体。その後1ヶ月に一度討論会、読書会、映写会、料理、編物教室、芸術鑑賞などを開催、お互いどうしにボランティアで母国語を教えるなどの活動を通じて、新しい人たちの地区への迅速な適応にも手を差しのべている。

今回のパネル・ディスカッションでは、それぞれの国での女性の役割、異文化の中で子育てをするにあたって遭遇する母親としての問題点やその意義などについて、パネリストとして招待されたパキスタニア人、スロベニア人、韓国人、中国人、日本人(私)女性を中心に活発な話し合いが行われた。女性の役割については、まずそれぞれの文化、習慣の違いが焦点になったが、解決されるべき問題はまだまだ少なくないにせよ、どの国も地位的に向上に向かっているという点で共通する部分があった。

子育てに関する話し合いでは、母国の文化を維持しながらアメリカのよさをとりいれていく過程での難しさに話題が集中。その難しさ、悩みの多さをもってして異文化の中で暮らすことの意義は大きいとする意見が多勢を占めてた。私も、我が家の子供たちが日本では「ハーフ」と呼ばれているが、本人たちは、日本、ユダヤ、アメリカ文化を共有する「トリップル」であると思っていること、多様文化が我が家に及ぼす影響などを話した。
今回のパネル・ディスカッションについて、団体創設者の一人、辰巳仁美さんは、「お互いの文化背景の違いより共通点の多さに驚いた気がします。こうした話しあいが続けられることで、相互理解の輪が少しでもひろがれば。」と語っていた。

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