Scarsdale station area
Image

ホロコースト生存者の子供たち   OCS jan.1, 1995

image-rose友人のアナトールの母親で、アウシュヴィッツからの生還者だったローザ・クワトラーさんが六ヶ月近い肺癌との闘いのあと、先日八十一才で亡くなられた。通夜の席で会ったアナトールは、最愛の母親を失った悲しみのために見るも気の毒な程に憔悴していたが、この半年間、折りを見てはオハイオからブロンクスの病床に駆けつけ、母親と一緒に何日かを過ごすことができたのがせめてもの慰めだと繰り返し口にした。母親の家族は本人の姉以外全員ポーランドでホロコーストの犠牲となって殺害されたので、癌との壮絶な闘いのあとだったとは言え、彼女のようにベッドで子供たちや伴侶に見とられながら最後を遂げた人は誰もいないのだと言う。

アウシュヴィッツの死の収容所を生きのびた母親が、その悲惨な思い出のために夜中に激しくうなされる声で何度も目を覚まし、自分だけが助かったと言う自責の念に苦しむ姿をしばしば目にしながら成長したと言うアナトールは、母親が生涯にわたって払拭できなかった過去を自らも引き摺りながら生きているようだ。

アナトールは、ホロコースト生存者を親に持つ子供たちで組織されている、「ホロコースト生存者の子供たち」と言うグループに参加し、当事者にしか理解しえない悩みや苦悩を分かちあい、助け合っているのだと言う。彼は今、病床の母親から半年に渡って聞いた話しを記録として纏める作業も行っているそうだ。昨年一月にはスピルバーグ監督が「シンドラーのリスト」と言う映画でナチスから千二百名のユダヤ人を救った一人のドイツ人を通して描き、五月にはドイツ連邦議会が、「ナチズム支配下で行われた民族虐殺を否定したり、故意に過少評価した者は三年以下の禁固、または罰金刑に処す」と言う刑法を成立させるなど、ホロコーストの記憶を時の流れと共に風化させないと言う動きは、昨今特に強くなっている一方で、「ユダヤ人虐殺などはなかった」とする意見や本もあとをたたないと言う現実の中で母親の体験を書き留めておくことは今の自分に課せられた最低限の責任のように思うと彼は言う。パトリッシャは、夫がそうすることで、「ホロコースト生存者の子供」としての重い精神的抑圧からから少しでも解放されれば、と言っているが、アナトールのために私もその日が近いことを祈らずにはいられない。

Top  
   その他のユダヤ関係記事





Image
Image
image