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ユダヤ教の安息日
ユダヤ教の安息日は金曜日の日没から始まり、土曜日の日没で終わります。安息日は、ヘブライ語でシャバット、またはシャバスと呼ばれ、ユダヤ人たちは、「シャバット・シャローム」([シャロームは「平和」とか「平安」という意味で、「こんにちは」「さようなら」の意にも使われます)と言って挨拶を交わします。聖書の中の「創世記」に「こうして万物は完成した。神は第7日目にその仕事を完成し、休まれ、その日を祝福された」という箇所があり、モーゼの十戒の中にも「安息日を守れ」とする記述があるところから、この日は歴史を通じてずっとユダヤ人の生活の重要な一部になってきました。(写真は安息日に灯す2本のキャンドルとワインカップ、「ハラ」と呼ばれるパン。ハラは通常白いカバーで被われています。)
安息日の過ごし方は現在では宗派によって違っていて、金曜日の日没を過ぎると、食事のための煮炊きをしない、電話に出ない、車を運転しない、テレビをみない、エレベーターに乗らない、一切の労働をしないなど、厳格に安息日の教えを守っている正統派や保守派の一部の人たちもいれば、我が家のような改革派、またはそのどれにも属していない人たちなど普通と変わらない生活をしている人も多く実に様々です。イスラエルではホテルには安息日用のエレベーターがあり、この日は安息日の伝統にのって生活をしている宿泊者が自分の降りる階のボタンを押さないですむように(ボタンを押すという動作は「労働」として考えられるのだとか)各階停車になっているのを見かけました。
安息日に運転をしない人たちは、ユダヤ教会に車で行く事はできませんので、正統派や保守派の多くは、教会に歩いていける距離に住んでいます。我が家の近くにも幾つかそうしたユダヤ教会があり、土曜日の朝、正装して教会に向かう家族の姿を多く見かけます。
金曜日の日没には我が家も白いテーブルクロスで被った食卓でローソクに灯をともしたあと安息日の到来を告げるお祈りをし(これは主婦である私の役目です)葡萄酒を手にして祝祷を捧げ、「ハラ」と呼ばれる楕円形のパンにお祈りをして(「ハラ」を家族に分け与えるのは父親の役目です)安息日を祝います。今では安息日の儀式は夫婦二人だけという寂しいものになってしまいましたが、子供たちがいた頃は各自どんなに他の約束があっても金曜日の夜だけは一緒に夕食をすることにしていました。日頃はそれほど宗教的な生活をしていなくても安息日だけは早く帰宅するというユダヤ人は少なくありません。
夕食のあとは、ユダヤ教会へいって安息日のお祈りをします。安息日は「安息日を聖とせよ」とする聖書の言葉の「聖」に「結婚」と言う意味もあるところから「花嫁」とも呼ばれ、教会では、「レハー・ドディ」と呼ばれる歌が歌われます。メロディーは教会によって様々ですが、歌の意味は、花嫁であるシャバットを迎えに行こうというものです。安息日の夕べの礼拝には今週無事で過ごせたことを感謝するもの、黙想をしながら一週間の行いを反省するもの、病気の人たちの早い回復を祈願するなどの祈りも含まれています。そのあとトーラー(モーゼ5書)が祭壇の中央のアークから取り出され、ラビや教会メンバーの人たちによって、会堂を一巡され、(トーラーが自分の所へ近づくと人々はそっと触ってその手に口付けをします)その週に読むことになっている部分(パラシャーと呼ばれます)が朗誦されます。今日の金曜日(2007年10月5日)は「シムハット・トーラー」後の最初の金曜日でしたので創世記の最初の部分が朗誦されました。
教会での礼拝はトーラーはもちろん、聖書の詩編とか賢者の祈りなどブライ語ですすめられる部分が多いので最初は本当に戸惑いましたが、改宗やバット・ミツバのための勉強をしたことや、門前の小僧的な慣れもあって最近では儀式についていくのに問題はなくなりました。もっともこれは改革派の教会だから言えることで式次第がほとんどヘブライ語ですすめらるある保守派の教会に参列した時は皆さんの祈祷書を読んだり、朗誦したりする速度があまりに早くてとてもついていけなかったことを覚えています。
正統派や保守派ではトーラーの朗読は金曜日の夜ではなく土曜日の朝の礼拝で行われます。改革派は土曜日にもトーラーを朗読しますが、この日はバール・ミツバやバット・ミツバの儀式を行う子供が中心となり、誰でも参列できるのですが、実際には招待された家族や友人だけという場合が多いようです。正統派の人たちと違って改革派ではこの日は料理もしますし、運転もし土曜日で休日という他は特に変わった生活はしません。
安息日の終わりには「ハブダラ」(日本語では分離の意)と呼ばれる儀式を行います。聖なる日から別れてあらたな週を迎えるひとときで、部屋を暗くした中でハブダラ用のキャンドルが灯され、ワインでお祈りを捧げたあと、香料の入った箱を回しあってその香りをかぎます。そのあと、預言者アリアの歌を歌い、あらたな週がよい週であるよう声をかけあって安息日に別れを告げます。ハブダラは土曜日が祭日にかかっていたり、バール・ミツバやバット・ミツバが土曜日の夜に行われる場合などには教会で儀式が行われますが、普通は家庭で行います。ただ安息日の休み方が正統派、保守派ほど厳格ではない改革派では安息日と平日の境の時である「ハブダラ」の儀式はそれほど重要視されていないようです。
ユダヤ教の安息日といってもことほどさように宗派によってその祝い方や過ごし方が全く違うのですが、私がいつも感じいるのは、何千年来えんえんと続けられてきた安息日の伝統と、それによって今も大切に守られている家族の団欒の時間です。日頃は忙しい父親(もちろん母親が働いていれば母親も)が少なくとも一週間に一度は決められた時間に食卓について家族と共に食事をし話しあいの時を持ち、休息することで精神的にも肉体的にも次の週へのエネルギー補給に備えるという習慣は現代社会にも十分通じる理にかなった伝統ではないという気がしています。
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