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六干人の命のビザ: 杉原幸子さんを訪ねて
OCS,
Jan.1, 1991
私はこの夏、杉原幸子さんを鎌倉のご自宅へお訪ねした。杉原さんは第2次大戦中、リトアニアの領事として日本行きビザを発行し、ナチスの手から六千人ものポーランド系ユダヤ人を救った杉原千畝氏の未亡人である。私が千畝氏の存在をはじめて知ったのは、ユダヤ人をホロコーストから救いだしたライチャス
・ジェンタイエル(正義の人)の一人としてスウエーデンの外交官であったラウル・ワレンバーグ氏などと共に、サイモン・ウィゼンソール・センターでその名前
を見てからだが、その後もユダヤ系の新聞や雑誌で、或いは多くのユダヤ人によって氏の偉業が称えられるのを見聞きするたびに、どうしても一度直接お会いして自らの感動を伝えたいという思いに駆られていた。ただその機合を持てないでいる間にご本人が5年程前に亡くなられたので、せめて奥様にだけでもと、帰国した際の慌ただしい時間をぬってお目にかからせていただいたのだった。
杉原さんは、前もって連絡をしていたとは言え、一面識もない私を大変快く迎えて下さった。その優しさに誘われて私もこれまでずっと氏に対して抱き続けてきた、日本人としていかに氏を誇りに思っているかという気持ちを何とか伝えることが出釆たよ
うに思う。杉原さんからはその時、当時の様子をご自分でまとめられた「六千人の命のビザ」 (朝日ソノラマ社、1990年六月発行)という本をいただいた。帯に『日本政府の命令に背くことはできな
い。しかし、自分がビザを出さをかったら、このユダヤ人たちは間達いをく、ナチスに殺される・…‥』ぎりぎりの
決断を迫られた夫と行動を共にした元外交官夫人が綴る人間愛の記録!」とあり、私が知りたいと思っていたことのすべて、特に氏のその後の生活などが詳しく書かれていて、輿味つきない本であった。
杉原千畝氏のその後については、ソ連に連れ去られたまま、いまだにその行方が分かっていないラウル・ワレンバーグ氏の例もあり、気にをることの一つになっていたのだが、奥様のお話や本によれば、収容所での生活の後家族の皆様と共に無事に帰国の途につかれている。ただ政府の命令に逆らった代償は高く、帰国後の氏に外務省のポスト
は待っていなかった。結局氏はその後堪能な外国語をいかして、民間人としての新しい人生を出発されている。氏の偉
業については、奥様による著書の他、「孤立する大国ニッポン(ゲルハルト・ダンプマン著、
塚本哲也訳、TBSブリタニカ)、「約束への長い旅」(篠揮久著、リプリオ出版)などでもその様子が述べられてい
るが、ご本人は自分のしたことを自ら口にされることはをかったようだ。そのためか、助けられたユダヤ人側からその行動が、「正義の人」として高く評価されるようになってからも外務省における氏の名
誉が回復されることはなく、省内ではいまだに氏の名前すら知らない人も多いと聞く。
たんたんと静かな口調で話される杉原さんのお話を伺いながら、私がそこに見たのは粉れもない「真の勇者」を、陰でしっかりと支えた人の姿であったように思う。
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