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新ニューヨーク教育事情 月刊「海外教育子女」1988年4月から15回

1.所かわれば表現もかわる・・誤解を生む曖昧な日本語の表現
  

子供のこと、よろしくお願いいたします。」というような言い方は日本人の親であれば誰もが教師に向かって一度は口にする極めて耳慣れた表現ではないでしょうか。単なる挨拶という場合もあれば、しつけを含んだ学校生活全般の指導に対する依頼の気持ちを込めてといったふうにかなり頻繁に使われる言葉ではないかと思います。

ところがこのようにわずかな語彙で相手に対する謙譲をあらわし、同時にお願いまでしてしまうというような便利な日本語の表現も、これを他の言語に訳そうとすると、これが意外に難しいんですね。よほど気をつけないとその意が間違って伝わることになりかねません。例えば私はこの言い方を「プリーズ ビー グッド ツー マイ チャイルド」とか「プリーズ テーク グッド ケヤ オブ マイ チャイルド」というふうに訳してアメリカ人教師に挨拶される日本人父兄を何人か目にしましたが、それに対しては先生は例外なくといった感じで一瞬むっとした表情をされました。それからこれも一様に、オブ コース アイ ドュー」と切り返されたんですが、この強い調子の「オブ コース!」には「そんなこと殊更頼まれるまでもないことです。私は教師としてどの子にだってよくします。」という先生の反発が込められていたようでした。

こうなると、「よろしく」の持つ日本語のニュアンスがちゃんと先生に伝わらなかったことは明らかで、のみならずこちらの意に反してあまり愉快ではない感情さえ与えてしまった訳です。

アメリカのように文化や言語のまったく違う人達が集まって国を作っている所では、共通の「言葉」によるお互いのコミュニケーションは日本で考えれれている以上に重要です。ですから、この国では幼い頃から家庭や学校で、自分の考えをはっきり述べさせるための訓練を始めます。例えば、ナーサリースクールの「ショーアンドテル」というプログラム。これは文字通り、何かを示して、それに対して話しをするというものですが、子供たちは、一週間に一、二度、好きなものを家から持って来てそれについてクラスメートの前で話しをします。持っていくものは大切なぬいぐるみであったり、昨日祖父母に買ってもらったおもちゃだったりといろいろですが、話しをした後、それに対する質問も容赦なく飛んで来ますので、幼い頭に自分の考えをすばやく纏めるという能力が要求されることになります。

こうした訓練は、小学校に入ると、新聞のニュースを自分の言葉で発表させるなど、その方法は学年に応じてかわっていきますが、訓練そのものは学校教育を通して続きます。こうした教育を受けているアメリカ人教師と、小さい時から家庭でも学校でも、「イエス」や「ノー」をはっきりさせないで、なるべく自分を主張せず、曖昧な言い回しで自らの欲する所を伝えるように訓練されてきた日本人、特に日本女性との間にはその表現に大きな違いがあるのは当然でしょう。そして、そのために戸惑いや誤解を相手に与えてしまうことも少なくありません。

アメリカで子供に健全な学校生活をおくらせるためには、教師との円滑なコミュニケーションは不可欠です。そのためには、決して楽なことではありませんが、どんな場合にも曖昧な言い方を避け、その内容を具体的にはっきり伝えると言うことをまず心がける必要があると思います。

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2.渡航する前に英語の基礎学習を:

外国への転勤の辞令が出たあと、実際に家族が現地で暮らし始めるまでの期間は、日本の会社の場合、平均すれだいたい三か月といったところでしょうか。父親がまず単身で赴任先に赴き、新しい環境になれるかたわら住まいを確保、一方母親は留守の後始末などに忙殺されたあと、子供たちを伴ってあたふたと日本を離れる、と言うのが一般的なパターンです。この間、子供たちに新しい学校生活のための下準備をさせるような時間などほとんどないというのが実情のようです。「アメリカに行きさえすれば、すぐ英語がぺらぺらになる」と信じられているらしいことも下準備のない原因の一つかもしれません。
しかし、このような日本人の子供たちを迎える現場教師からは、最近「時期を選ばず次々に入って来るだけでなく、新しい生活に対し、何の予備知識も与えられていない」という声もあがっています。語学に対する日本側の認識は、急増する児童数と共に日本人集中区で問題視されはじめているようです。スカースデール学区ESLコーディネーターのミセス ニッセンは、「まったく英語の話せない子供たちがクラスの中に大勢入って来ることが教える者の立場を非常に難しくしているのは事実です。しかし、どんな状態にあっても教師は教えるのが仕事ですからね。その中で最善の努力を尽くさなければなりません。ですから、これは教師のためというより、子供たち自身のためにお願いしたいことなのですが。」と、前置きして、現地校に入る前に家庭で簡単な英語の基礎を教えておくことがいかに重要であるかをこんなふうに訴えています。

「一日中何も分からないところで黙って座っているのは、子供にとって楽なことではありません。精神的に非常に疲れますし、退屈のあまり、悪戯をしたり居眠りをはじめたりする子供も多いです。所が、こんな時、アルファベットや数字が英語で発音出来るとか、自分の身の回りの簡単な単語を幾つか知っていればそれだけでも興味をもって話しを聞けるようになるのです。特に小学校二年生以上になると、読み書きに力をいれ始めますから、ABCなどの基礎をしていることは本人たちにどれだけ授業に入るのを楽にするか分かりません。」

ミセス ニッセンは続けて、現地校へ子供をいれた後の親のありかたにも言及しています。「アメリカの学校で勉強しているからといって、直ぐに英語が話せるようになる訳ではないことをよく理解していただきたい。日本人が少なく、学校ではほとんど日本語を使うことがなかった頃でさえ、子供たちが授業についていけるようになるまでに一年以上はかかったものです。最近のように日本人が増えて日本語で話す時間が長くなると英語習得にはもっと時間がかかることになります。家庭の役割は以前にもまして重要になって来ています。」

日本人の親の中には、日本の学校と同じ感覚で、或いは英語に自信がないために、学校へ出向くことを躊躇する人が少なくないようですが、ESL教師や担任教師と密接な連絡をとりあって家庭の役割を認識することは、先ずはわが子の為に課せられた親の最低限の責任と考えた方がよさそうです。

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3.荷物を背負った子供たち

ESLコーディネーターのミセス ニッセンは、以前に比べた最近の日本人の子供たちについて次のように語っています。

「私はアメリカに来てすぐの子供には、身の回りの単語を覚えさせたり、毎日15分程何でもいいから自分の知っている単語を使って英語を話させるようお母様にお願いしていますが、それよりもっと大事なこととして家でもなるべくアメリカ人の子供と遊ばせることをすすめています。小さい子供の場合は親がそのお膳立てをしなければなりませんから、その必要性についてもお母様にお願いをします。以前はそうしてプレイデイトをしながら遊びを通して、英語に慣れていくということが多かったのですが、最近は、日本人同士で約束しあって、アメリカ人と遊ぶということが少なくなってきました。せっかくアメリカの学校にいるのに日本人だけが固まって遊んでいるのを見るのは辛い思いがするのですが、強制は出来ませんしね。」

彼女は続けて、「アメリカ生活に早く慣れるためにはその他にボーイスカウトやガールスカウトに参加したり、スポーツチームに入るという方法もあります。こうした活動は英語力をそれ程必要としませんし、アメリカの友達を作る絶好の機会になりますから、従来日本の子供たちにも勧めているのですが、ジュクがニューヨークに出来てからというもの、こちらへの参加も極めて少なくなっています。子供たちの余暇の時間が年々削られていくようでとても心が痛みます。」と顔をしかめました。

機会さえ与えられれば英語の世界でもめきめきと頭角を現して来るはずの子供たちが、同胞の数が多いため、或いは帰国後を考えた日本の勉強に費やされる苛酷とも思われる時間のため、アメリカの学校で十分な力を出し切っていないらしいのを見るのは、本当にやるせない思いがするとミセス ニッセンはいいます。そしてこれは多くの現場教師に共通する思いでもあるようです。

「大人にとっては限られた滞在期間とはいえ、子供にはかけがえのない、成長の上での大事な一時期なのです。アメリカにいる間は子供の背中からしばらく「日本」という荷物を降ろして、落ち着いて現地校の勉強をし、多くのアメリカ人の友達を作れるような環境を子供たちのために作ってあげて欲しいものです。」といっています。

現地校に子供をいれながら、目は何時も日本へ向けられているという親の姿勢は、いずれは帰国することを考えれば、だれにも責めることは出来ないにせよ、子供と直接接している現場教師にはしばしば危惧感や無力感を与える結果になっています。

「確かに子供はいろいろなことを吸収する能力を持っていますが、それにも限度はあります。英語が十分に分かるようになった子供たちがしばしば授業中に居眠りをはじめたりするのは、スケジュールが過密すぎるのではないかと思うのです。子供たちの荷物をもう少し軽くしてやれないものでしょうか。」という一人の現場教師の言葉は、子供たちの現状の一端を物語っているようで考えさせられます。 

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4.リクルート事件と現地校

リクルート事件は、発覚以来各界から多数の逮捕、処分者を出してこのほど捜査が終結されましたが、中でも特に興味をそられたのは、文部省教育行政の中枢にあった高石前文部事務次官が収賄剤で起訴されたというニュースでした。何故かというと、前次官が一昨年四月アメリカの日本学校視察のため、ニューヨークを訪問された際、ある日系新聞のインタービューに答えて示された海外日本人児童生徒の教育に対する見解が非常に気になるものとして心に残っていたからです。

例えば、「日本人子弟が世話になっている米国の現地校に日本政府としては何をしたらよいと思うかという問いに対し次官は、「原則的には、自由諸国における国際交流というのは、お互いがその国の責任で気持ちよく受け入れてくれるというのが出発点でなければならないと思う」と述べ、この問題に政府は菅よする必要なしとしています。そして、日本でも日本語が分かれば韓国人であっても入学を認め広く門を開放している。従って、現地へいってその国の言葉が出来ないことによって、現地の学校に迷惑がかかる場合は、むしろ親自身の問題として解決するべきことである」と、現地校でおきる諸々の問題もそれぞれ親が処置するべきこととしているのです。

しかし、企業の海外進出なしにもはや国の繁栄は考えられなくなっている日本の国情を思えば、年々急増する一方の海外の子供たちの教育は当然政府の問題として認識するべきことではないかと思われました。それですぐ次官の発言に対する抗議と、早急な現状把握の必要性を中曽根首相あて公開文書で訴えたのです。

もちろん返事を期待した訳ではありませんが、何等かの進展が切に望まれたのでした。しかし、その後も現地で見る限り事態はいっこうに好転しないまま現在にいたっています。

そして今回の収賄事件です。リクルート社役員と教育課程審議会メンバーの関係や、在職中から衆議院選挙への立候補を目指してそちらの方でも多忙を極めていたらしい次官の日常等を新聞で目にしたりすると、文部省教育行政の中枢にあった人がこういった状態では、なるほど海外の子供たちの教育にまで手が回らなかったのがうなずけるような思いです。ニューヨークのように駐在員人口の高い地区を訪れながら一つの現地校も視察しなかった次官のありかたも今となっては納得出来るような気もします。

しかしながら、クラスの三分の一が日本人と言うような学校区の地区住民や学校関係者にはそれはまったく関係のないことです。日本にどのような理由があるにせよ、一方的に子供たちを送り込むばかりで、その為に生じている問題に目をふさいている限り、受入側には受入側の様々な事情もあって、送る側の姿勢に応じた対処をするより仕方がなくなっていくのは当然ではなかろうかと思います。その為に犠牲を強いられるのは結局は自分たちの子供なのです。

新しく文部省行政の責任者になられた方が、この事件を契機に海外の子供たちの教育事情を今こそ正確に把握されて、それに対する早急な考察がなされることを祈らずにはいられません。

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5.学習塾の進出と補習校

ニューヨーク補習校は、日本人教育審議会によって任命された教育管理委員会が運営する「私立」の学校です。27年前に設立された当時は30余名であった児童生徒数は、今や4500余名となり、学校数も12校、現地採用教師250名と言う他に類を見ない大所帯に膨れ上がっています。そして、児童生徒数の急激な増加は、補習校でもまた、様々な問題を生み出しています。

まず、現在補習校の抱える最大の問題は、児童生徒数の増加に伴う教師の慢性的絶対数の不足と言えるようです。教える資格のある駐在員の夫人たちが会社の方針やビザの規制で働けないことも含めて、人材の動きの激しいニューヨークで子供の数に見合う教師を常に確保しておくことは学校にとって至難の技のようです。この為、中には子供たちの母国語学習の場を理想から掛け離れたものにしている例もあります。もちろんこうした例は一部でほとんどの先生方は真面目に教職に取り組んでおられますが、ニューヨークと言う場所柄もあって、人の入れ代わりが激しく、1年のうちに先生が2、3回変わることなど子供たちにとって珍しいことではありません。

現場で直接教壇に立つのは現地採用教師の方々、学校運営の中心になるのは、文部省から3年任期で派遣される校長1名、教頭1名、主事7名の主事は、250十余名の現地採用教師に対する教務指導者というわけです。現存する補習校の問題はここにもその原因があります。土曜日だけの学校とは言え、それぞれに指導法の異なる小、中、高校を含めた12の学校に校長、教頭が一人という事実は、本人たちに激務を強いているだけでなく、父母と学校との対話を非常に難しくしており、対話不足はしばしば父兄の学校不信、教師不信を招いたりする結果になっています。

以上のような問題に対して、最近は補習校をやめて塾へ移ってしまうケースもしばしば見られるようになりました。「補習校の授業より塾の方が数段面白い」と言う子供に私はたくさん会いました。もちろん放課後の塾通いによって土曜日が空き、その日をスポーツ活動に利用出来るのは子供たちに取手大変な魅力でしょう。しかし、かってのように補習校が日本人の子供たちにとって唯一の日本語学習の場であった頃と違って、大手学習塾のニューヨーク進出は日本語の勉強に関しては選択権が与えられたことを意味しています。補習校をやめて塾だけに専念することも出来ますし、補習校はこれまでどうり通学しながら、その上に塾に通うと言うことも可能な訳です。こうした現象は、現地校の先生方を憂慮させる要因となっていますが、日本人にとっては少なくとも問題の多い補習校だけが日本語の学習の場ではなくなったと言う意味でかなりの福音となっているようです。

ただ、現地校に通いながら、放課後は塾と言った生活が当たり前になった感じの昨今の子供の様子を見ていますと、人材不足どこふく風の受験産業の繁栄と、20数年来ほとんど変わっていない補習校のありかたがどうしても比較されてしまいます。

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6.固まる日本人の子供たち 日本人集中区住民の声

 「私どもは主人の仕事の関係で5年ほどニューヨークを離れていて、半年前にまたこちらに帰ってきたんですが、その時学校へ行 ってまず気付いたのは、校庭や廊下のあちこち固まって遊んでいる東洋系の子供たちの集団でした。それが日本人だということは、聞いて分かったのですが、一つのグループがこんな形で目立つと行くことは以前には絶対ありませんでしたので、気になって校長先生に話にいったんです。そうしたら、学校でもいろいろと指導はしているんだけれど、本人たちの意思で固まってしまう以上強制は出来ないし、実際の所どうしようもなくて困っているとということでした。」
7年生を頭に、6年生、3年生の男の子を持つビビアーノ夫人は、ウエストチェスターカウンティのある学校区の日本人の子供たちの様子をこんなふうに語りはじめました。

「我が家の上二人の息子は現在中学生ですが、小学校の頃は、親しくしていた日本人も多かったのに、今回帰ってきてからはいまだに一人の友達も出来ないといっています。何しろ日本人の団結力は強くて、とても中に入れるような雰囲気ではないというのです。下の子の場合は、それでも時々学校で遊んだりすることはあるらしくて、家へも呼びたいといいますので、何回か誘ったのですが、既に日本人のお友達との先約があったり、ジュクとかいう日本語の学校へ行く日だったとかで結局まだ一度も来てもらっていません。以前はお招きすれば、その時は都合が悪くても、別の日を約束すると行った具合にすぐ、行き来が始まったものですけれどね。」と、本当に残念そうな顔でいいました。

「日本人同士で付き合ったほうがいろいろな意味で楽だということはよく分かるのですが、一つのグループがこんなふうに目立つようになりますと、中に入れないために阻害感に悩む子供も増えて来ます。これは学校のありかたとして決していい傾向とはいえません。ましてここは日本ではなく、アメリカなんですから、もっとみんなと遊ぶように家庭でも指導していただきたいものです。」

「これは親の責任です。」と厳しい口調で語るのは、6年生男児、3年生女児の母親であるドノバンさんです。「日本人の子供たちが学校で固まるのは、自分たちも固まっている親の姿勢に影響されるのではないかと私は思います。親が積極的に学校行事や地域活動に参加し、アメリカ人に交わろうとしないで、どうして子供にそうした指導が出来るでしょうか。」彼女は、拳をふりあげかねない程の強い言い方で、次のように訴えています。

「英語を母国語としない国からの駐在員家族は、日本人だけではありません。いろいろな国の人が一時的にこの地域で生活していますが、彼等が一般的に日本人と違う点は、アメリカの学校に子供をいれる場合、少なくとも出発前に基礎的な英語の知識やアメリカ生活のインフォメーションを子供に与えているということです。親自身も教師や地区住民とのコミュニケーションが可能な程度の英語力は身につけた上でやってきますから、学校行事や、PTA活動などに参加擦るにもそれ程の支障はないのです。それが無理だったり、母国語の勉強に重点をおきたい場合は、自分たちの教育機関に子供をいれますから、彼等に対してはアメリカの学校を利用するだけで、地域に溶け込もうとしないといった日本人に対するような不満はあまり出てこないのです。日本人も外国の学校に子供をいれる以上、出発前にもっとちゃんとした準備をしてから来るべきではないでしょうか。」  

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7.どうして日本人学校を作らないの? 日本人集中区の住民の

ドノバンさんは、続けて、「日本人の子供たちは、最近はジュクの勉強に忙しいと言う話しですし、そんなことなら日本人だけの学校へ言ったほうがずっと子供のためになると思いますよ。日本の教育はアメリカよりずっとすすんでいるということですのに、どうして自分たちの学校をふやさないのか我々には理解出来ません。」と、言っています。

E小学校のPTA会長の他、町内会の役員でもあるパウエル夫人は。住民が一番日本人に望んでいることとして次のような点をあげます。
「まず自分たちから率先して地域や学校行事に参加する努力をして欲しいことです。私たちの地域では、ここ数年資金集めと親睦を兼ねて一年に一度地区内の教会でデイナーパーティを開いており、新しい住民の方にももれなく招待状を差し上げていますが、日本人のみなさまにはいまだに一度も参加していただいたことがありません。こうした催しに積極的に参加されれば、例えば言葉に問題があるにせよ、地域に溶け込みたいと言う皆さんの熱意は伝わりますし、親しくなれる絶好の機会でもあるのですが、まったく来ていただけないのは残念です。とは言え住民の中にはどんなふうに手をさしのべていいか分からないだけで、溶け込みたいと思っている方々のためには役に立ちたいと考えている人はたくさんいますので、皆さんの方がその働きかけをして下さるなら、住民は喜んでそれに答えるでしょう。」

「しかしそのためには、まず意思を伝え合うための最低限の英語力はどうしても必要です。渡米前に英語の勉強が出来なかったとしても、機会はいくらでもあるのですから、滞在中に勉強されればよいのです。アメリカに住み、アメリカの学校へ子供を通わせる以上、英語習得はもちろん、学校、地域活動への参加も自分たちに課せられた責任と全てのお母様が考えられるとしたら、受け入れる側としてもどんなにお手伝いが楽になるか知れません。」

「確かに親がもっと英語が話せ、PTAや地域活動に参加する事が出来れば、それに越したことはありませんが、個人がどんなに頑張っても、日本人がこんなに多くなると、以前のようにアメリカに溶け込むのは無理だと思います。」と、言うのは十一年生と五年生男児の父親であるザッカーマンさんです。「これはもはや個人の努力で解決出来るものではなく、人材を派遣する側がもっと真剣に考える問題です。会社は、駐在員家族がもっと拡散して居住出来るよう、赴任前に適切な情報を与えるべきだと思います。」

ザッカマンさんは、もしそれが不可能であるのなら、日本人の集中区に日本人学校を作るべきだとしています。日本人が日本人学校を望むかどうかは別として、彼のように、その必要性を感じているアメリカの住民は少なくないようです。

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8.不可欠なPTA活動への参加

アメリカの学校、特に学校区の水準が高いといれている地区の公立小学校ではPTAの役割が日本で考えられている以上に重要な役割を果たしています。例えば、放課後や週末のスポーツ活動から、ボーイスカウト、ガールスカウトの活動、学校行事運営間で、教職以外のあらゆる仕事が父母の手によってなされていて、PTAなしには学校は一日もなりたっていかないのではないかと思われるくらいです。そのため、子供の学校に何らかの形で参加するのは尾やとして非常に大切なことだと考えられています。内容は、それぞれの事情で当然違って来ますが、各自が可能な範囲で仕事を選びんで参加します。

日本人の場合は、従来図書のボランティアとか、学校祭の手伝いなど、言葉をあまり必要としない分野で参加する人も多かったため、学校関係者の中にはその貢献度を、「日本人は我が校の財産」と言って高く評価する人達もいます。昨今、住民の中から、日本人に対してかなり批判的な声も聞かれる一方で、増加し続ける日本人を学校側が少なくとも表面的には暖かく迎えてくれている背景には、こうした日本人母親質のこれまでの努力を忘れてはならないでしょう。

しかし、同胞の急激な増加は、かっての親たちの緊張を薄れさせている部分があるようで、日本人の人数とPTAの参加度は必ずしも比例していないと言うのが現状です。「学校をよくするのは自分たちである」と言う強い信念をもつ住民にとっては、このこともまた非常に気になることのようで、「子供を通わせている学校に親としてどうして無関心でいられるのか」と言う疑問が直接ぶつけられることがあります。

「やりたい気持ちはあるんだけれど、英語がネックで..」と声を日本人の間でしばしば耳にしますが、PTAの中には言葉の流暢さを必要としないものも少なくありません。それゆえ、英語が出来ないことなど不参加の理由にはならないのです。そして、不参加は「学校に子供をいれていても、それをよくすることに興味はない、利用しているだけだ」ととられてもやむを得ない所が訳です。

PTA会合などへの出席についても同様のことが言えます。会合は仕事をもっている人達のことを配慮して主に夜開かれますが、ここでも児童数に反して日本人数は少なく、これに対しても、日本人は、一時的な滞在で学校のありかたに関心がないと言う見方をしている人が少なくないようです。

アメリカと日本のPTAの違いを認識して、それぞれに出来る範囲で活動に参加すること、学校の会合などへも招待されたら必ず可能な限り出席することは、「自分たちもPTAの一員として学校に関心をもっている」と言う姿勢を示すことでもあります。それは自分たちの子供の為だけではなく、これからやって来る人達の為にも成すべき努力であるように思われます。

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9.求められる父親の参加

補習校をとるか、現地校のスポーツ試合に参加するかで、土曜日はしばしば日本人の子供達にとって悩み多い日になりますが、アメリカの学校では、秋のサッカーに始まり、バスケットボール、フットボール、テニス、ベースボールなど、ほぼ一年を通じてスポーツ活動が盛んに行われています。この場合も運営は学校ではなく、ほとんどがPTAによって行われていますので、コーチをつとめるのも子供達自身のお父さんたちです。(希にはお母さんコーチもいます)

お父さんコーチには、医者あり、弁護士あり、銀行重役、企業役員ありと言った風で、みなさん普通はそれぞれの分野で多忙を極めておられる方々です。こう言う忙しい人達にとって、放課後や週末の一定時間を子供達の為に費やすのは、決して楽ではないと思われるのですが、それでもどうやって時間を作るのか、一週間に一、二回の練習や試合には必ず時間どうりに現れますし、どうしても、本人が来れない場合には代理のコーチがすぐ駆けつけます。この様に、自分の為に使える何らかの時間を削っても子供達と関わりを持とうとするのは、彼等がPTAへの参加を重要視している事は明らかです。我が子の成長に対する自らの役割にはっきりした信念がある事もその理由のようです。そして、その信念とそれに対する弛まない努力によって、彼等はそれぞれの家庭で、家長としての確固たる「父親の座」を維持しているように見受けられます。

一方、日本人父親の場合、その仕事にかける時間やエネルギーが、企業の繁栄をもたらし、世界に冠たる経済大国日本の礎となっているのは疑うべきもない事実ですが、仕事に体を奪われるあまり、家庭で父親が不在となっている様子は、子供達のスポーツ競技の際にもはっきりした形で地区住民の目にうつる所となっているようです。自分のご主人もあるスポーツのコーチをしているあるアメリカ人の母親は、その事について、こんな風に語っていました。

「日本人のお父さんたちは、何時も忙しいと言う事で、応援にも殆どいらっしゃらない方が多いんですが、我が子の活躍ぶりも楽しめないなんて何だかとてもお気の毒だと思います。子供たちだってお父さんに見ていただいたら嬉しいでしょうにね。アメリカ人の父親もここら辺に住んでいる人達はみなさん日頃猛烈に忙しい方ばかりですが、子供の為には何とかして時間をとるようにそれぞれ努力しているんです。要は誰がより忙しいかの問題ではなくて、何にプライオリティをおいているかと言うだけの違いではないでしょうか。ただ、コーチと言っても、専門の方々が仕事でやっている訳ではなくて、みなさんチームメートのお父さんなんですから、その方々に感謝の気持ちを伝える為だけでも、せめて応援には来ていただいた方がいいと思います。」 

彼女によれば、スポーツ競技がPTAで運営されており、コーチ陣も全てボランティアである以上、試合を観戦し味方チームに声援をおくるのも、立派なPTA活動の一環であると言う訳です。スポーツ以外の事でもアメリカの学校は日本で考えられているよりずっとPTA活動に支えられている部分が多いのですが、特に日本との違いとして知っておくべき点は、その仕事が母親だけのものではなく、両親の参加によって運営されている事であろうと思います。  
     
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10.疑われる日本人の人種偏見

 ニューヨークタイムズは一昨年、「日本でユダヤ批判の本がベストセラーに」と言う記事を載せた事がありました。「ユダヤが解ると世界が見えてくる」とか「ユダヤ・パワ−」と言った本がよく売れていることや、歴史雑誌がユダヤ特集号を出していることなど、ユダヤをめぐる本が相次いでいる事を紹介し、それらのほとんどがユダヤ非難を売り物にしていると言うのが記事の主旨でした。これについては、その後、他の新聞や米議会でも問題にされて議員が首相あてに手紙を書いた事などが日本の新聞でも報じられましたので、記憶に新しい方も多いかと思います。

この事は、ニュ−ヨ−クに住む多くのユダヤ系の人達に非常に憂慮するべき事実として受け止められたようで、その後の彼等との話しの中にそれを痛いほどに感じることが何回かありました。事ある度にスケープゴートとして迫害の対象にされた過去の歴史を考えれば、ユダヤ非難の本が良く売れる背景にある日本人の反ユダヤ感情を彼等が懸念するのは当然の事だと思います。距離的には遠い所の出来事とは言え、決して無視してはならない問題としてとらえられたのもその為だったようです。

こうした問題は、日本に住んでいる限り対岸の火事にも似て、自分に関係のある問題としては考えにくいものと思われますが、ニューヨークのように、隣人が、或いは子供達のクラスメートやその家族、学校関係者の多くがユダヤ系の人達であるような所では、それでは済まされなくなります。そうしたニュ−スによって自分たちまでが周囲の人たちに誤解されているかも知れないからです。 

そして、その誤解を裏ずけるようで気になるのが、いまだに、「ユダヤ人はけちで金に汚い」とか、「金持ちで排他的」と言った言葉を時々日本人の口から耳にする事です。「何せ私たち日本人はジュ−イチですから」と言う言い方をする人にも会いました。ジュウイチと言うのは、嫌われているユダヤ人にプラスして嫌われている日本人と言う自分たち自身への蔑称なのだそうです。(ジュ−よりは少しましとしてナインと言う呼び方もあると聞きました)自分たちの事はともかく、他民族であるユダヤ人を嫌われた人種と決め付けて憚らない所には大きな問題があるような気がします。 

歴史の中で民族として共存した事もなく、それゆえに実際にはよく知らないユダヤ人に対する日本人のいわれのない偏見は、キリスト教社会の観点から欧米文化を吸収していった国の過去にその要因があるようです。キリストを救世主と認める者と認めない者の2千年にわたる確執の歴史は、私達日本人には分かりにくい所が多いのですが、はっきりしているのは、日本人のユダヤ人観が大多数である一方の目、つまり他人の目を通して得た先入観や偏見を基にしていると思われる事です。

相手の誤解を解き、自分たちの事をよく理解されたいと思えば、先ずは自分から相手を理解しようと努める事ではないかと思います。自分自身の目で直接見詰めることで、先入観の嘘、偏見の無意味さに気ずくとしたら、同様にユダヤ人の日本人に対する誤解、警戒も溶け、相互理解も不可能ではなくなることでしょう。この事はもちろん、ユダヤ人に限った事ではなく、あらゆる民族に対して言えることではなかろうかと思われます。

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11.日本人の人種偏見と固定観念

三年前中曽根元首相が「アメリカには黒人やプエルトリカンなどがいる為、教育の程度が低い」と言う主旨の発言をして、アメリカで問題になったことがありました。その意見が間違ったものであっただけでなく、例え本音の部分でそう思っている人がいたとしても公の席で、そうした発言をすることは、アメリカ人にとってはタブーとなっているからです。

日本人生徒の中にはそのことでアメリカ人のクラスメートから「日本人は人種偏見主義者だ」とか、「そんな程度の低い所で勉強しなくったって自分たちの学校へ行けばいいじゃないか」などを言う嫌がらせを言われた人も少なくなかったようです。私も、顔見知りのアメリカ人に、「自分たちの子供はどんどんアメリカの学校にいれておきながら、その国の為政者があんな発言をするのはどういうことでしょう。子供たちを送る側の父親が、あそこの家には出来の悪い子がいるので家族としての程度は低いなんて言っているようなものではありませんか。しかも他人の家の出来の悪い子がだれであるかを自分の先入観で決め付けているんですからね。まったく失礼な話です。」と言う言い方で憤慨を現された子とがありました。

中曽根元首相の発言の主旨はともかくと、これはいまだに日本にある白人崇拝の考え方が根底にあるような気がします。例えば、日本人が選ぶ住宅地に住む住民は人種の違いに関係なく教育に対する価値観や、社会の通念等はお互いに共通する所が多いのですが、日本人の子供たちが、「黒ちゃんとは遊びたくない」などと言うのを耳にすることがあります。黒人やその他の小数民族をアメリカ人分けて呼ぶことで、彼等をアメリカ人範疇にいれていない例も少なくありません。

また相手がだれであれ、クリスマスの時期にクリスマスカードを送ったり、宗教に関係なく日本人が自分の家にクリスマスツリーを飾ったりするのも、アメリカがキリスト教の国であると言う固定観念が基本になっているようです。大多数がキリスト教であるアメリカではクリスマスは全国的な休日にはなっていますが、この日を祝わないアメリカ人もまた多いことに留意する必要があるような気がします。例えば、キリストを救世主とは認めていないユダヤ系アメリカ人にはクリスマスを祝う理由はありません。クリスマスカードをもらって怒ったりする人はもちろんいないでしょうが、キリスト教徒ではない人に対する感受性のなさを問うている人はいるかも知れません。

「ミスターナカソネは、特定の人種のためアメリカの教育水準が劣っていると言っていますが、その点は間違っているにしても、私に言わせれば、様々な人種、宗教の違いを越えて成り立っている国であるからこそ、アメリカは素晴らしいのです。そしてまただからこそアメリカは、次々に入って来る日本人だって問題にもされず受け入れられているのではありませんか。アメリカについてもう少しちゃんとした理解が欲しいですね。」と、言う先の隣人の言葉が忘れない一言として残っています。

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12.子供たちのために「日本研究」をはじめた現地校・・変わりつつある現地校の日本人受け入れ体制

スカースデール学区のフォックスメドー小学校では、現在「日本研究」という教師のための勉強会が開かれています。会の主旨は、日本人児童生徒に共通して見られる優れた点から何かを学び取り、それをアメリカの学校教育に取り入れようというものです。それと同時に、日本人児童をもっとよく理解し、子供たちをよりスムーズにアメリカに適応させるには学校や教師は何をすべきかといった点についてアメリカ人教師が学習していくための会でもあります。

勉強会は、「ジャパニーズ・エジュケーショナル・チャレンジ」や「ザ・ジャパニーズ・オーバシーズ」などの著者であり、日本の教育に造詣の深いボストン大学のメリー ・ホワイト準教授を中心として行われます。教授はこのために定期的にボストンからこの学校へやって来ます。講演料や旅費などは全てこの地区の教育委員会で賄われています。これについて学校長のドクターマケーンは次のように語っています。

「日本人の子供たちが急に増えた事でわたしたちも最初は本当に戸惑いました。今も少々戸惑っているというのが正直な所かも知れません。でもわたしたちはこの状態をネガティブだとは思っていません。日本人の子供たちは実に健気に頑張っていますし、彼等からアメリカの学校が学ぶ所は少なくない事に気付いたのです。日本企業のアメリカ進出は、これからも増え続けるでしょうし、その結果に日本人の子供の数は今後も増えることは合っても減ることはないと思います。それなら、その状況に応じた積極的な対策をたてたうえ、日本人やその教育から学べる点は大いに学ぼうと考えたのです。」

日本人の増加に対して現在学校区の中にはこのように現状を積極的に受け入れ、それをアメリカの教育に役立てようとしている所もあります。多数の日本人の現地校への在席がもはや避けられない以上、本人たちやその社会、教育の背景をよく理解する事で出来る限り力になりたいと言う教育者としての思いも、勉強会の根底にあるようです。これは、現地校が日本人の指導に暗中模索をしていた状態、ネガティブな面が強調されないではいられなかった時期を過ぎて、それぞれの方法で解決策を考察し始めた一つの例であろうと思います。

それにしても、次々に入ってくる英語の話せない子供たちを温かく受け入れてくれるだけでなく、子供たちの背景についても学習していこうとする受け入れ側の積極的な姿勢は、送り込む側に依然として何の変化もみられない事を考えれば、驚くべき柔軟性だと思わない訳にはいきません。この受入れ側の努力に対して、送る側ももっと現実を直視し、受入側の負担を少なくするような方法を考察する必要があると思われます。

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13.教育関係者からの日本人家族への提言

今回は日本人を多く抱える学校の校長、教育委員会の方々に伺った話しから、日本人家庭や「送り手日本」に対する提案を紹介したいと思います。

まず、両親、特に学校との接触の多い母親への要望として一番置く寄せられたのは、学校とのコミュニケーションをもっと密にして欲しいと言う意見でした。日本人の母親の中には、英語にほとんど支障のない方が以前に比べるとずっと増えているのですが、全体から見ればまだ少なく、日本人父兄とのコミュニケーションの難しさは学校にとっても相変わらず大きな問題であるようです。スカースデール学区、E小学校の校長、ドクターデンプシーはそのことについて次のように話しています。

「子供はご承知のように学校と家庭という二つの世界に住んでいます。ですから、双方どちらに問題があってもそれは必ず他方にも影響をおよぼすものです。親と教師が常に密接なれんらくを取り合うことが重要なのはこのためです。PTAやコミュニティへの参加はもちろん大切ですが、先ずは子供に充実したアメリカ生活をおくらせるためにも、会社は赴任前に父親だけでなく母親に対する英語のトレーニングを行うべきだと思います。」 ドクターデンプシーは続けてこんなことも訴えています。

「またそれにもまして最近気になるのは、睡眠不足ではないかと思われる日本人の子供たちが増えていることです。朝から眠そうだったり、実際に授業中に居眠りを始めたりする子もいます。子供の成長にとって適切な睡眠は不可欠な要素ですから、アメリカ人の子供でも宿題が他の子と同じでは無理だと思われる場合は、その子に応じて少なくします。日本人の場合は、宿題を父親に見てもらう場合が多いため遅くまで起きているらしいこと、やジュクや補習校の勉強も夜更かしの原因であるようです。しかし、子供の年齢を考えるとこれは非常に気になります。母国語の学習が大切なことはよく分かるのですが、アメリカの学校で子供を学ばさせている間は、学区では子供達が英語の学習に集中できるような環境作りを是非家庭でお願いしたいのです。」と言っています。

スカースデール学区副教育委員長は次のような考えです。「英語と日本語を両立して学習していくのは本当に大変だと思いますが、多くの場合、子供たちは驚くほどそれをうまくこなしています。ただ、それが負担になってきている子供が最近増え始めているのが気になります。私達の地区では「日本研究」などを含めて、日本人児童をよく理解し、そのよりよい指導法を考えていくなど、出来るかぎりのことをしています。しかし、日本語の勉強にも忙しい日本人の子供たち全てのニーズに添えるかと言えば、これは難しく、我々の成し得ることには限界があると言わねばなりません。ですから負担が重すぎる子供、例えば英語と日本語の両立が困難と思われる場合や滞在期間が短い場合など、希望すれば学年に関係なく入れるような日本人が学校が通学可能な距離に必要と思いますよ。授業中に日本語が飛び交ったり、遊びもほとんど自分たちだけで固まってしまう程日本人が多くなっている現在、その必要性は以前にもまして大きいと思います。」

アメリカの学校の積極的な姿勢に真摯な態度で応えるためには、これらの提案は無視されてはならないような気がします。

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14.アメリカ人の本音と建て前

 先日、知り合いのアメリカ人教師から、日本のある新聞社からインタビューをうけたのだけれど、それについてになることがあるので頼みがあると言って次のような電話がかかってきました。質問の内容が、日本人が多くて学校が困っているのではないかと言う点に絞られていたこと、聞き手の口調にどうしても日本人に対する不満を聞き出したい様子が感じられたのでそれについては否定したが、取材側の意図に自分の意見が混同されるように思われてならないので、記事になる前に発言が正確に受け止められて要るか確認したい旨、新聞社に伝えて欲しいと言うものでした。彼女が強調したかったのは、子供たちに問題があればそれぞれの方法で学校が対処するべきであるし、教師の立場からも、学校に在席する様々な生徒の中から、特に日本人だけを取り上げて否定的な意見をのべることは出来ないと言うことだったようです。

この欄で私は過去一年、ニューヨークに20年近く暮らしている者として、また最近ではアメリカの学校に勤務しながら直接現場で子供たちに接する者として、学校関係者や住民の生の声を聞き、その中から日本人に耳が痛いであろうと思われる部分を意識的にとりあげて報告してきました。これに対し、日本から取材にこられる方々や実際に子供を現地校に通わせている日本人父兄から、「アメリカ人から本当にそのように否定的な声が出されているのかと聞かれることがあります。

住民が直接面と向かって日本人に何かを言うとと言うことはまずありませんし、特に外部からのインタービューなどに対しては、人種偏見ととられ兼ねないことを危惧して、またそれぞれの立場などを考えることなどから、返事は通り一片の子供たちに対する賛辞の声に繋がることが多いからです。もちろん賛辞の面も日本人の子供たちの健気な努力をみれば、当然と言う部分もあるのですが、多民族が国家をなしているアメリカの学校では、その建国のなりたちや教育システムのありかたから言って、例えば問題が歴然としている場合でも一つのグループだけを公に取り上げることは非常に難しいのだと言うことに留意する必要があります。そして、こうしたアメリカの事情が、日本側に問題の本質を見えにくくしているようで、現場で見ている限り、国や企業によって状況改善のための積極的な試みが何もなされていないのはここにもその要因があるようです。

しかし、それが公に云々されるかどうかは別として、言葉が分からず、アメリカに対する知識をもたず、しかも時期を選ばず次々に入って来る子供たちに対して受入側が対処に苦慮していることは事実です。そして、それにもまして気になるのは、日本人集中が与えている影響を一番強く受けているのはうけいれがわよりは日本人の子供たちであると言うことです。学校区の中にはスカースデールのように現状を積極的に受けとめ、子供たちの早い適応に力を貸すため、学区全体で日本研究をしている所もありますが、そんな学校ですら、日本人が多いために 日本人の間で起きてくる問題にはどうすることも出来ないのです。その様子は今や、「日米」ならぬ「日々教育摩擦」とでも言うべき様相を呈し始めている感があります。

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15.「日々教育摩擦」

前回では日本人の集中が問題になっている場合でもそれが公にされることは少ないと言うことを書きましたが、その原因の一つにはこれが主には日本人自身の問題だからと思われます。

つまり、アメリカの学校で学びながら、四六時中日本語を話し、日本人とだけ付き合い、放課後は塾、土曜日は補習校といった日本人(もちろん全てではありませんが)の子供たちの生活はアメリカの学校にはどうすることも出来ない部分が多いのです。最近よく耳にする「日米教育摩擦」と言った現象がこれまでに上げた様々な事情から、実際にはおきていず、むしろ「日々教育摩擦」とでも呼ぶべき様相をしているのはその為です。

あるアメリカ人の母親はその事について次のように語っています。
「最近、日本人の子供には名前がなくなったのではないかと思われることがあります。我が家には4年生と2年生の男児がいますが、以前は2人とも少なくとも学校では日本人の子供たちと遊んでいまして、それぞれ名前で呼んでいましたのに、最近では日本人はみな「あの日本人の子」になってしまったのです。私は自分の子供たちにはだれとでも仲よくするように言い聞かせているのですが、誘ってもすぐ自分たちだけで固まってしまうのだそうです。せっかくアメリカの学校にいるのに残念です。」

授業中に眠ってしまうほど塾や補習校の勉強で忙しいらしい子供たち の様子も真面目な現地校教師を悩ませる原因になっています。しかし、彼等もいずれ帰国する子供たちがその肩に背負っている日本の教育事情には自分たちが何の力にもなれないことをよく承知しているのです。

この一年の現地校関係者との話し、現場での観察から最も強く感じたのは、日本人の一定学区集中のもたらすインパクトを直接うけているのは詰まるところ、他ならぬ日本人の子供たちであると言う思いでした。現地校がいかに日本の理解に努め、好意的にうけ入れてくれたとしても、現実には子供はその数の為に固まってしまいます。塾の為の勉強 も一日の重要な要素となっている極めて多忙な生活。これは実際現地校の関知し得ない問題です。

日本では政府や企業の方針がしばしば外国からのプレッシャーで変わったりすることがあるようですが、こと教育に関する限り、それぞれの学校区で運営の方法や方針が違うこともあり、アメリカの学校から日本に対して何らかの要請が出されるなどと言うことは恐らくないでしょう。しかし送り手としては何時までもその状態を甘受するべきではないと思うのです。アメリカの学校に対する配慮と言う意味ではもちろんのこと、先ずは健気に頑張っている子供たちの為に国や企業による一日も早い適切な考察がなされることを心から祈って私の報告を終わります。 

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