Scarsdale
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ユダヤ教に改宗するまで 
2006年2月 


スカースデールシナゴーグユダヤ系アメリカ人の夫と結婚して今年で33年になります。この間ずっとニューヨークに住んで、一男一女の二人の子供たちもユダヤ教の習慣の中で育てました。でも結婚した当初私にはユダヤ教についての知識がほとんどありませんでした。このように無知な非ユダヤ教徒であった私との結婚はあとで聞いたところによると最初夫の両親の心を痛ませたようです。ユダヤ教の古いしきたりでは子供が異教徒と結婚すると葬式を出して勘当したと言う時代もあったそうですからこれは当然のことだったのかも知れません。私の母も私がアメリカ人と結婚することに最初反対でしたし、その意味では双方の懸念は何処も同じ親心と言える一面も確かにあるのですが、2000年も昔、ディアスポラとして諸国に離散したユダヤ人の氏族を絶やさないと言う思いはそれにもまして強いものがあるようです。それでも夫の両親は実際私が会った時には私を息子の妻として受け入れる心の準備が出来ていたようで少なくとも表面上はとても暖かく迎えてくれました。

「何が大事かと言ったって、」私はその時両親が口をそろえて言った言葉を今もはっきり覚えています。「貴方たち二人が幸せならそれが一番大事なことよ。」その時は何の気なしに聞いていたのですが、自らも改宗してユダヤ教徒となった今、その言葉に夫に対する両親の切ない愛情を感じとることができます。両親のうち特に舅は毎日お祈りを欠かさない敬虔なユダヤ教徒でしたので異教徒との結婚で息子がその伝統や習慣を継承しなくなるかもしれないことに対して失望も大きかったのではないかと思うのですが、そうした感情を一切表に出さなかったからです。もちろん私を改宗させようとしたり、そうするよう息子を説得したりすることもしませんでした。二人とも息子の結婚を受け入れた時点で彼の家庭は彼自身が作るべきものとして余分な口出しをしないことを決心したのではないかと思われます。

そんなこともあって私たちは結婚して子供が生まれるまでの数年間ユダヤ教の習慣とはあまり関係のない生活をしていました。夫が何も言わず、私も特に関心がなかったためでした。もちろん四季折々の大切な行事、例えば、パスオーバーとか、新年とか、ハヌカなどの行事は家族が集まりますので両親や叔父さん、叔母さんたち、夫の兄の家などに呼ばれてお祝いに参加しましたが、何となくいつもお客さまと言う感じで自分には関係のないことのような思いを抱いていました。

そんな私たちでしたが、息子が3歳くらいになった頃、夫が子供たちのアイデンティティを確立させるためユダヤの習慣や行事を我が家でも取り入れていこうと言い出しました。ユダヤ系だった両親から自分が生活の中で自然に吸収したユダヤ文化を子供たちにも伝えていくべきだと思うと言うのでした。その意見には私も異存がありませんでした。人種のるつぼと言われるニューヨークに数年暮らしていて、ちゃんとしたアイデンティティを持つことの意義や親としてそれを確立させるための環境を整えていくことの大切さなどに私自身気づき始めていたからです。

それで息子が三歳になってユダヤ系のナーサリースクールに入れたのを機会に我が家も安息日にお祈りをしたり、年間の行事を自分たちですることにしました。早速「ハラ」と呼ばれる三つ編みのパン作りなどから始めましたが、何しろ慣れないことで本物とは似ても似つかぬ形のパンが出来上がったり、「マッツァボール」と呼ばれる団子を作ってスープに入れると、入れたとたんに中でぐちゃぐちゃに壊れたりで右往左往の「新米ジューイッシュマザー」の日々が続いたものです。それでもナーサリースクールのクラスメートのお母さんたちに助けてもらったり、夫の力を借りたりして少しづつ慣れて行きました。

長男が小学校へ就学するのを機会に(その頃、娘は3歳になっていて息子に次いでユダヤ系のナーサーリースクールに通っていました。)それまで住んでいたブロンクスから現在のスカースデールの家に移りました。子供の就学にあたってスカースデールを選んだのは、公立学校の評判がよかったこと、ユダヤ教会や日本語補習校が近くにあったことなどがその理由です。補習校の存在は母親の文化も子供たちに継承させたいと思っていた私たちには大変好都合でした。 引越しのあと子供たちをユダヤ人学校に入れるため幾つかのユダヤ教会を訪問しましたが、いささかショックだったのは最初の二つの教会で非教徒の母親から生まれた子供たちはユダヤ人ではないという理由でメンバーになることを拒まれてしまったことでした。

ユダヤ教は大別すると、正統派、保守派、改革派に分かれていて正統派、保守派のいずれも非教徒の母親から生まれた子供をユダヤ人とは認めません。(母親がユダヤ人であれば父親が誰であれ子供はユダヤ人とみなされる訳で、これは父親の血を重要視する日本と対照的です。)そのため、子供が生まれる前に改宗をしなかった私が保守派の教会を訪ねたことは明らかに私たちの勉強不足でしたが、密かに子供たちをユダヤ系アメリカ人に育てるための環境作りに尽力していると自負していた当時の私にとってかくもあっさりと断られたことはショッキングな出来事ではありました。夫は、「メンバーにしてくれない所なんてこちらからお断りだ」と変な慰め方をしてくれましたが、何だかすっきりしないものを感じたことを覚えています。今から思えば祖国を追われたあと各地に散らばって2000年以上にわたってユダヤ人が生き抜いてきた背景にはこうしたある意味で排他的とも思える伝統の維持があったとして納得できる思いもあります。それにしても保守派の家庭で育った夫が、何故子供が生まれる前に私に改宗をすすめなかったのか聞くと、その時はそこまで思いが及ばなかったと言っていました。

それで次は改革派の教会へ行ったところここでは両親の一方がユダヤ人で家庭でユダヤの習慣を取り入れているのであればもちろん子供はユダヤ人と言われ、大手をあげて歓迎されました。それ以来我が家はこの教会のメンバーとなり、子供たちは13歳の成人の祝い(バル・ミツバとバット・ミツバ)もここで受け、高校を卒業するまでユダヤ教を勉強しました。(写真は我が家が属しているユダヤ教会)
 
二人ともひと夏をイスラエルのキャンプで過ごしたり、娘はまた大学一年の時ベングリオン大学に留学するなどして長ずるに従いユダヤ系アメリカ人としてのアイデンティティを確立していたったようです。

日本語の方も幼稚園の時から近くの補習校に通いましたが、学年が上がるにつれて日本から来て日本へ帰る子供たちと一緒に勉強にしていくのは難しくなり こちらは二人とも4年生のはじめでやめました。それでもそれまで週日はアメリカの学校、水曜日の放課後と日曜日はユダヤ人学校、土曜日は日本人学校という忙しい日が続いたものです。日本語が中途半端になっていたことは子供たちには気になることだったようでその後息子は大学の時一年間筑波大学に留学、娘はJETと言うプログラムで2年間熊本の中学校で英語を教えながら勉強していました。
 
子供たちが家にいた頃、私は自分がユダヤ教の習慣を家庭で取り入れるのはユダヤ系アメリカ人として育つ彼らのために母親としての務めを果たしているのだと思っていました。ところが娘が息子に次いで大学へ行くために家をはなれて夫婦二人だけの暮らしになったあと、安息日の準備など既に私の生活の一部になっていることに気づいたのです。子供たちのためと思っていた様々なユダヤ教の習慣が今ではいつの間にか自分のものになっていたのでした。夫と結婚して既に26年が経っていましたが、改宗する時が来たと思いました。

「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」ある安息日の夜二人で食事をしているとき私は笑いながらルツ記の一部を夫に暗誦してみせました。ルツは夫が死んだあと、自分のうちに帰らず姑のナオミと一緒に夫の故郷に戻っていった旧約聖書の女性です。夫は突然のことで何のことか分からず、怪訝そうにしていましたので、「改宗することにしたのよ。」と言ったら、「え、君はまだユダヤ人じゃなかったけ?」と驚き、しばらくして「ようこそ!」と嬉しそうに叫びました。それからラビと相談してあらためて改宗のための勉強をして、教会での式では夫や子供たちだけでなく、教会のメンバーにも祝ってもらいました。

こうして正式にユダヤ教徒になったあと、また2年ほど勉強して今度は「バット・ミツバ」の式を受けました。女の子は普通12才か13才でこの式を受けて成人になったことを祝うのですが(男の子は13才の誕生日に祝います。)、これは比較的新しいしきたりのようで40代以上のユダヤ人女性にはこの式を受けていない人が少なくありません。それで教会は今大人のためのバット・ミツバを奨励していて、(男性でもバール・ミツバを受けていない人は参加することが出来ます。)その年は私のほかには13人の女性が一緒でしたので正確には娘の「バット」を複数にした「バノート・ミツバ」を受けたと言うことになります。

改革派のラビのもとで受けた私の改宗やバット・ミツバは、保守派や正統派では認められません。保守派や正統派のメンバーになるにはあらためてその戒律に則った儀式を受けることになります。けれどもどの宗派も伝統や戒律をどんな形で守っていくかで違っているだけで基本的なユダヤ教の教えは同じですから、例えば、「あなたはユダヤ人じゃない」と言われたにしてもそれは考え方の違いだと思えるようになりました。実際、私の教会のラビでもイスラエルに行くと超正統派 の人たちに「ユダヤ人ではない」と言われることがあるそうですから、ユダヤ人の定義には難しいものがあります。

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