Scarsdale
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アメリカ市民権   ある母親の記録:偏見(1)日米新聞、1982

子供たちよ。
お前たちは今五才と二才のわんぱく盛りだ。両親の限りない愛を全身にうけてすくすくと元気に育ってくれている。お前たちの屈託のない笑顔は、それだけで私の胸を幸せで満たしてくれる。実際、何を気にすることもなく毎日が祭日ででもあるかのようなにぎやかで明るいお前たちの日常に羨ましさを感じるくらいだ。やんちゃをいってどうしようもない時は、お尻に平手を飛ばす事も再三だが、そんな時でさえその後でお前たちを抱きしめながら感じる幸福感はこれまで味わったことのないものである。お前たちを授かった事で私は何と多くの喜びを知ったろう。出来る事なら時を止 めて今のこの幸せにいつまでも浸っていたい位だ。

でも、もち論それは叶わぬ望みである。時は移りお前たちも成長していつか私たちのもとをはなれていくだろう。一時も母親なしでは過せないような今のお前たちから、その日の姿を想像するのは難しいが、お互いに何かの異変か起きない限り、お前たちが一人立ちしていく日は 当然やって来よう。その長じたお前たちにいつの日か眼を通してもらいたいと願って私は今これを書いている。アメリカ人を父親として当然アメリカ人として育つお前たちではあるが、その時までにせめて母親が書いたもの位読める程度には日本語に親しんでおいて欲しいものだ。又、日本語の読める読めないにかかわらず、お前達の母親がお前たちの幼なかった頃、どんなことを考えていたか記したものがあるならそれを読んでやろうと興味を示す程度には親思いに成長していてくれていたらどんなにうれしいだろう。不幸にしてお前たちの眼にふれる事がないとしたら、その時は愚かな母親の迷い多い人生の一時期の記録としていつの日か自分で読み返すのも案外面白いかも知れないと思っている。

さて、子供たち。今さら云うまでもないことだが、私は日本人だ。だからお前たちにも半分は日本人としての血が流れているわけだが、アメリカでも日本でも書類の上でお前たちの中の「日本」を証明するものは何もない。この地でアメリカ人を父親として生まれたお前たちかここでアメリカ人であるのは当然であるとして、日本に住むことになっても父親が日本人でないお前たちは日本人とはみなされない。成人しても母親のみが日本人であるお前たちには日本国籍を選ぶ権利はないからお前たちは終生アメリカ人である。そして私は日本人であり、今後も日本人でいつづけるだろう。これはお前たちやお前たちの父親を想う気持と相反するものであろうか。この地を終焉の地と決めて、お前たちとのこの上ない幸福な生活を宮みながら、尚日本国籍に拘泥している母親をお前たちは奇異に感じるだろうか。

今思い立って先ずお前たちにこのような事を書くのは、最近読んだ「NY日米新聞」の二つの記事に考えさせられる所があったからである。そのひとつは、悪化する咋今の日米経済関係を示す信びょう性ある一例としてアメリカ人と結婚して十数年アメリカでくらす日本女性がその関係に不安を感じて市民権をとる決心をしたとの記事(仲地清氏「生活の中の日米摩擦」)であり、もうひとつはそれに対する感想として書かれた「アメリカに移り住んで十数年もの長い間アメリカ人の夫や子供と共にこの国でくらしながらなおアメリカ人になり切れなかった人の決心をもって何の信びょう性であるか〕(匿名)という意見だった。

一人の日本女性の決心が日米関係の悪化をどの程度に示すかは確かに議論の余地があるとして、その動機が何であれ、国籍を替えるというような大きな体験が何かのきっかけなしにはとても出来るものではないように私には思われるので、恐らくいくつもの屈折を経て、そこまでたどり着かれた結果であろうその方の決心に対しては誰も云々することは出来ないような気がする。特に十数年を経てやっと決心されたというのなら、その間いろいろな迷いもあったことと思われるので、その方にむけられた「アメリカ人になり切れなかった、つまり周囲の状況次第でどちらにも転ぶ女性」との批判にいささかこだわりを感じた。

たヾ私によく判らず、その方に是非うかがってみたいのは、日米関係の悪化に不安を感じた事が市民権をとられた本当の動機であるのなら、アメリカ市民になったことで何を得られたかという事である。アメリカ市民になったからといって日米の問題点が急にむこう側から見えるようになるとは思えず、例えばそれが可能であるとして、それによって不安がどのような形で解消出来るというのであろう。国と国との摩擦は両国相互に問題があればこそ起るのであって、その意味では日米の経済摩擦も日本人だけの問題ではないはず。(一体、国と国の間に何らかの意味で摩擦のない処なんてあるだろうか。)そして生括の中に本当に強くそれを感じるのなら、これはアメリカ人、日本人に関係なく市民的レベルで共に考え解決への道を見出さねばならない課題ではないのかと私には思えるので不安を感じてアメリカ市民になる事の意味が理解出来ないのである。       

お前たちはいづれ第二次大戦中の日系アメリカ人の体験を学ぶだろう。アメリカで生まれ自分たちをアメリカ市民と信じて疑わなかった二世、三世の人たちが日系であるというだけの理由で長い収容所での生活を強いられた多くの人たちのことを。また、祖国と信じたポーランドでユダヤ人であったことが唯一の罪として六百万人の一人となって殺戮されたお前たちの祖父母の運命についてもいずれ知ることになるだろう。彼らは書頬の上では疑いもなくアメリカ人であり、ポーランド人だった。それがある日、その理由が何であったにせよ、国家そのものに背を向けられる結果となったのである。もち論だからといつて私は市民権に意味がないと云っているのではない。たヾ国家や民衆がある民族を迫害するとき、宗教的なものであれ人種的なものであれ、あるグループが政治的にスケープゴートとして利用される場合、市民権の有無など全く問題とはならなかった過去の(そして今後もあり得る)事実を忘れてはならないと思うのだ。

私自身に限って云えば、前にも述べたように止むをえない事情でも起こらない限りずっとこのまま日本人でいたいと思っている。アメリカ市民をとることがアメリカ人になりきるというのであれば或いは私もまた長くニューヨークに住みながらアメリカ人になりきれない者として非難されるのかも知れない。それに対しては日本人でいて何が悪いかと開きなおるしかないだろう。例え書頬の上でアメリカ人になったとしても自分の中の「日本人」を誰よりも一番よく知っているのは、自分自身なのである。二十数年間日本の土壌で培われた「日本人」は、よきにつけ悪しきにつけ、何年この地に住もうと変るものではないし、又変る必要があるとも思われない。では自分の内面が今さら何をもっても変らない事をそれ程承知しているのならなぜそのように日本国籍にこだわるのか、お前たちと同様アメリカ市民となって、しかも尚自分の中の「日本」を見失なわずにいればそれでいいではないかとお前たちは云うかも知れない。確かにそうかも知れないが、今の私にはそこまで割り切れる強さはないらしい。日本に帰る家がある訳ではなく、待つ人のあるでなく、いずれこの地に葬られる事も恐らくは事実であるのにそれでも尚籍をおいておく事で、日本とのつながりを何らかの形で保っておきたいという気持がお前たちに分かるだろうか。自分だけの虚しい満足感にすぎないとしてもこの吹けば飛ぶようななわずかなつながりに安らぎを覚える問は自分の心に正直に日本人でいたいと思う。しかし、お前たちを想う気持、自分なりにいくらかでも地域社会に役立ちたいと願う気持ちは、私が日本人でいつづける事と少しも相反するものではない事をお前たちには分かってもらいたい。

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