Scarsdale
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服部剛丈君のご両親と「サイレントマーチ」に参加して (読売 Oct.7, 1994)

私は、剛丈君射殺事件の民事裁判でルイジアナ州に滞在しておられた服部夫妻から電話で依頼を受けて、お二人にお供をさせていただくため、去る9月20ワシントンDCで開かれた「サイレント・マーチ」(沈黙の行進)に参加した。

サイレント・マーチは、年間3万8千人以上にのぼる全米の銃の犠牲者を追悼し、銃規制の強化を議会に訴えようと、各地のボランティア団体が連絡をとりあって開催したもので、当日は早朝から米議会議事堂前の池の周りに州ごとに犠牲者の遺品の靴が並べられ、午後1時から黙祷のあとに始まった、「アラバマからワイオミンまで全米に蔓延する銃暴力」と題するスピーチでは各州を代表する遺族が次々に涙ながらに銃社会に対する怒りを訴えた。

ルイジアナ州から演壇に立った服部夫妻も剛丈君の後日本人で銃の犠牲となった伊東琢磨さん、松浦剛さん、砂田敬さんに振れ、「彼らの死を無駄にしないためにも米社会の銃規制が強化されることを望んでいる」と語った。

先月ニューヨークで息子の敬さんを亡くした砂田向壱さんは、ニューヨーク州から演壇にたち、ガーディアン・エンジルス・ニューヨーク市本部・本部長の小田啓二さんの流暢な通訳で「戦争に行った訳でもないのに、こんなに多くの人の命が銃によって奪われる社会は異常だ。いつの日かここに犠牲者の靴が並ばない時が来ることを祈っている」と訴えた。

遺族のスピーチの後、議会からブラドリー上院議員、(ニュージャージ選出)と共に新しい銃規制法案に取り組んでいるチャールス・シューマー下院議員(ニューヨーク)が駆けつけ、「アメリカ市民は、これまでNRA(全米ライフル協会)などの強力なロビー活動に押されてあまりにも長く沈黙を保たされてきた。今回のマーチは銃規制に対する全米の市民の声を一つにして議会に訴えることを可能にした点で実に画期的なできごとだ。これからの道も決して平坦ではないが、この動きが実際に銃規制法案につながるよう、今後もお互いに頑張ろう」と呼びかけた。

サイレント・マーチを企画し、各州のボランティア・コーディネーターや銃規制推進団体と密接な連絡を取りながらこのイベントを全国的な規模に導いたのは、服部君のホストペアレントであったヘイメーカー氏やニューヨーク州のティーナ・ジョンストンさんなど、家族を銃で失ったり、銃社会を憂う人たちで構成された5人のメンバーだ。

ルイジアナ州立大学の物理学教授として多忙な日々の中、3月からこの日のために奔走してきたヘイメーカー氏は、署名運動に続いてサイレント・マーチを企画した動機について、「アメリカは今や自国民と訪問者の基本的な安全さえ守れないと言う意味で、人権擁護の世界的リーダーとしての立場を崩しはじめている。これは先進国として恥ずかしいことだ」と語った。

ホロコースト・ミュージアムでおびただしい数の犠牲者の靴が一室に並べられているのを見た時も私はその訴えるものの強さに息をのまれる思いをしたが、抜けるような青空の下に並べられた3万8千の靴も、一人一人の無念の叫びを見る人に伝えないではおかないものだった。

ジャパニーズ・スチューデント・アゲインスト・バイオレンス(JSAV)の一員としてニューヨークからサイレント・マーチに参加した西根雅章君にもその叫びは強烈に伝わったようで、彼は並べられた靴を前に、「これまでは少人数で銃規制を叫んでいることに疑問を感じたこともあったがこれからは一足一足の靴に込められた犠牲者の思いを無駄にしないために全米銃器暴力阻止連合を強化していきたい」と語っていた。同胞の犠牲者に対する思いがきっかけであったとはいえ、西根君のような日本の若者が自分達の時間を割いてアメリカの銃規制運動に真剣に取り組んでいる姿が私にはとても感動的だった。
 
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