Scarsdale
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杉原千畝元リトアニア領事のことで鈴木外務次官にお会いした  (OCS, Nov. 1, 1991)

鈴木外務次官にお電話をいただく

鈴木宗男外務次官と杉原千畝領事に関する私の記事がOCSニュースに掲載された同じ日の10月4日、別の日系新聞で領事の名誉が44年ぶりに回復されたという報に接した。鈴木宗男外務政務次官が外務省を代表して幸子未亡人に謝罪され、事実上の名誉回復措置がとられたという内容で、次官を前にした未亡人やご長男の姿を新聞の写真で拝見しながら、ついにこの日を迎えられたご家族の思いはいかばかりかと感慨深いものがあった。

その後私は、国交回復のためリトアニアを含むバルト3国を訪問され、帰国前にニューヨークへ立ちよられた鈴木次官に宿泊先のホテルでお目にかかる機会を得た。その際次官は、領事への名誉回復がリトアニアとの国交回復を契機として行われはしたが、措置への動きはこの春英ニューヨーク総領事がミラー・イエシバのユダヤ人から杉原領事と日本政府に対する感謝をうけられ、その早急な実現の必要性について報告された時から外務省内で急速に高まっていたことなどを説明された。国外での領事に対する賞賛の声の高まりや次官が実際に幸子夫人の「六千人のビザ」を読まれてその内容に感銘を受けられたことも措置につながった要因であるとのことだった。

その場に同席した夫はアメリカ人の立場から、当時の日本政府に様々な事情があり、領事にビザの発行を禁じたにせよ、少なくとも命令に背いて発行されたビザでユダヤ人の入国を認め、一定期間の滞在を許可したという事実は当時の世界的状況からいっても国として評価されるべきであること、その意味で外務省が領事の名誉を回復し、その功績を称え続けていくことは、ひいては日本政府の対外的な評価にもつながることなどの発言をした。これに対して次官は、日本人の特性から言って政府自らがそのことを公に口にすること難しいが、領事個人に関していえば、領事をすぐにも外務省の誇るべき先輩として全ての関係者に知らしめ、今後は外交官の範となすよう指導していくつもりであると語られた。


杉原記念財団の設立
  
次官は続けて政府が領事の偉業を称える方法としては、そのほかに「杉原記念財団」に援助するなどの形もあるとされた。「杉原記念財団」は、杉原精神の継承を理念として設立された財団で、現在ニューヨークでもその開設がすすめられているという。東京にある財団に直接連絡して送っていただいた趣意書によれば、その活動には、日本・米国友好維持活動、日本・イスラエル友好、リトアニア(バルト3国)友好などの国際平和友好活動、国際ボランティア活動、(バルト3国、特に財団と友好関係にあるリトアニア共和国に対し緊急に「コンテナいっぱい運動」を展開の予定)学生へのユダヤ教団系の諸学校への留学と奨学金制度、領事に関する資料を収集して行われる杉原千畝研究会などが予定されている。財源は全てが募金活動によって賄われるという。

杉原領事の偉業は、こうして今回外務省が領事の名誉を回復したことをステップとして、省内はもとより財団などの活動を通しても広く語りつがれていくことになった。領事の処遇に対する私の気掛かりはこれでやっとなくなったが、崇高な領事の行為は真のヒーローのそれとして今後も私の中で鮮明に生き続けていくことだろう。


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