Scarsdale
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ワルシャワ (Warsaw)

ポーランドの首都ワルシャワは第2次大戦で市の90%が破壊されましたが、歴史的な建物などは戦後元通りに復活されてとてもきれいな町の姿を取り戻しています。それでも至るところに見られる戦争の記念碑は悲惨な歴史を伝えていて、戦前、戦後の日本を思わせるものがありました。

戦後は日本と違って共産国となったため、西側諸国に比べて経済的な復興が遅れてしまいましたが、共産政権破壊後の近代化はめざましく、新しいビルも次々に建設されていて想像していた以上に 躍動的な街の様相を呈していました。

王宮と旧市街広場(Royal Castle and the Old Town Market Square)

ワルシャワの王宮は最初14世紀にマゾヴィア公国という小さい国の首都として建てられましたが、1569年にヂグモント3世がクラクフから遷都したあとポーランド首都の王宮となりました。その後ポーランド王国が滅亡する1795年まで歴代の王が住み、国会や大統領執務室、士官学校、国立劇場などとして使われてポーランドの政治・文化の中心的場所となってきましたが、第2次大戦中、ナチスによって徹底的に破壊されてしまいます。戦後ワルシャ市民は1946年から53年にかけて非常な熱意で王宮と旧市街の一部を再建し、中世の町並みを見事に復元しました。旧市街は現在ユネスコの世界文化遺産に指定されています。
 

王宮と旧市街広場

残されていた図面や絵、人々の記憶などを中心に壁のひびまで戦後丹念に復旧されたとあってまるで本当に中世にタイムスリップしたような思いにさせられます。

音楽を奏でながら商売をしているお土産やさん

後に見える像は[ワルシャのマーメイド」。剣と盾を手に空に向かっている像はポーランド人の不屈の魂をあらわしているようです。

広場の中心に立つジグモント3世

596年、首都をクラカフからワルシャワに移しここをワルシャワの王宮としたジグモンド3世。

広場で音楽を演奏するミュージッシャン

広場の至る所にグループで演奏する人たちの姿がみられました。

 

旧市街広場からクラクフ郊外通りを歩く (The Royal Route)


クラクフスキエ・プシェドメェシチェ通りは歴史的で ヨーロッパでも最も美しい通りのひとつとされています。壮大な教会や宮殿、ワルシャワ大学、ファインアート・アカデミーなどが立ち並び、その間にはすてきなレストランやカフェ、商店街が続いてまさに観光の見所といった趣があります。

聖ヤン大聖堂 (St. John's Cathedral)

旧王宮に隣接するワルシャワ最古の教会。ポーランド王国歴代の王の戴冠式や1791年のポーランド最初の憲法の発布式が行われるなど歴史的行事が数多く行われてきました。

聖アナ教会(St. Anna's Church)

ポーランド公爵ボレスラフ3世の未亡人アンナによって15世紀後半に建てられた教会。ここの教会で式を挙げると幸せな結婚生活が続くという言い伝えがあって若い人たちにもっとも人気のある教会とか。今日も式をあげて出てきたばかりのカップルを目にしました。

ナミエストニコフスキ宮殿(Namiiestnikowski Palace)

1685年から1818年にまでラジヴィウ家の所有であったところからラジヴィウ宮殿とも呼ばれています。現在は大統領官邸になっています。

コペルニクス像(Copernicus)

ポーランドが生んだ偉大な天文学者コペルニクスの像は国立科学アカデミーの前にあります。

聖十字架教会(Holy-Cross Church)

ショパンは20歳の時にウィーンに演奏旅行に出たあとはパリで没するまでポーランドに帰りませんでしたが死後、遺言によって彼の心臓は生れ故郷ワルシャワに運ばれこの教会に埋められました。

ヴィズィトキ教会 (Kosciol Wizytek)

2次世界大戦で街の殆どが壊滅状態になったワルシャワで全壊をのがれた数少ない建物の一つ。ショパンはこの教会のミサでオルガン演奏を務めていたとか。

 

ワルシャワ2




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