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連載エッセイ スカースデール村から: (教育大阪 Vivo
la Vita)2003年1月から12月まで)
日本人コミュニティの衰勢
スカースデールは、マンハッタンの中心から北方約
12キロ、電車で約40ほどの距離にある閑静な住宅地です。もともとシワノイ族のインディアンが住んでいた所を、1701年、カレブ・ヒースコートという英国人が譲り受け、生まれ故郷の町にちなんでスカースデールという名前をつけました。村には18世紀に建てられた英国風の建物が幾つか現存しており、歴史的なたたずまいと落ち着いた雰囲気をかもし出しています。環境のよさに加え、学校の評判が良いことなどから、日本人駐在員家族にも人気の居住区となっています。
わが家がニューヨーク市内からここに引っ越して来たのは、子どもたちが就学年齢に通した18年前のこと。住まいの近くに日本語補習授業枚やユダヤ教会(夫がユダヤ系アメリカ人なので)があったことが引っ越しの理由でした。当時7歳(男)と4歳(女)だった子どもたちはすでに巣立ち、娘は現在、JETというプログラムに参加して、熊本の中学校で英語を教えています。
この18年間、スカースデールではいろいろなことがありました。日本人家族の急増と、その後の水を引くような減少も心に残る思い出のひとつ。私たちがやって来た1984年は、日本企業の海外進出が華やかになり始めたころで、数年後にはニューヨーク郊外の閑静な住宅地のあちこちに日本人コミュニティが出現。スカースデールの学校では小学校1クラス別名の子どものうち、約3割にあたる6〜7人が日本人というクラスが珍しくありませんでした。
父親の転勤に伴って言葉の通じない外国の学校や地域に送られる子どもたちや母親は大変ですが、何の予備知識も与えられないまま、次々にやって来る新しい人たちを受け入れる側の戸惑いも相当なもの。私も、スカースデールの一学校に勤務しながら、授業中に飛び交う日本語に音を上げたり、日本人同士でかたまってしまう子どもたちの対処に苦慮する先生方の様子を、再三、目にしてきました。
「日米教育摩擦」という言葉まで生まれた当時の状況は、日本でも「ニューヨークの田園調布に出現した日本人村」と特集されたり、「日本化するスカースデール」と米国で大々的に取り上げられるなど、両国のメディアからも、かなり注目されたものでした。
現状の日本人家族を見ていると、ニューヨークの一郊外にまで怒涛のように押し寄せていたかつての日本経済の勢いが、「祇園精舎の鐘の声…」の一節と共に、懐かしく思い返されます。
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スカースデールでは村長さんもボランティア
アメリカは周知のようにボランティアの盛んな国です。所が、スカースデールのような小さな地方自治体では、メイヤー(村長)や議員でさえ、ボランティアであることなどは意外に知られていないようです。
議員は選挙で選ばれたあと、4年の任期の間、住民代表として無給で仕事をします。昨年から今年にかけてのスカースデールの村長さんは、マンハッタンにオフィスを持つ弁護士のクロエンラインさん。いつお会いしても、笑顔で大して苦にしているようでもなく、「忙しい、忙しい」と言いながら走り回っています。メイヤーを含む7名の議員が協議、決定した行政の重要案件を、実際に村役場の長として運営するのは、プロのビレッジ・マネージャーです。
学校行政の中心である教育委員会も同様にボランティアからなる組織です。住民は村の議員とは別の時期に学区の教育委員会メンバーを選出します。議会でメイヤーにあたる最高責任者は、ここでは教育委員長で7人のメンバーの中から選出されます。今年度の委員長であるスティーブスさんも村長さん同様弁護士として忙しい方です。委員会は、ミーティングで決定した教育方針、法規などの重要案件の運営をプロとして雇った教育長に任せます。
議会でも教育委員会でも無給の人たち(つまり住民代表)が有給のプロの上に立っている訳で、住民は金も出せば口も出すどころか、全体で地方行政、学校行政に関わっていると言っても過言ではありません。
スカースデールにはこの二つの行政組織の他、代表的なボランティア団体としてPTA,ボーイスカウト、ガールスカウト、成人学校、救急車出動隊など、ざっと数えただけで60以上にのぼります。アメリカの地域ボランティアというのは日本で考えられているように、お金や暇のある人達が片手間でやっているのでもなければ、一部の人たちが人助けのために気負ってやっているというような性質のものではありません。各自が自らの能力や時間に応じて何らかの形でコミュニティに関与しているといえるでしょう。貢献度が高い所ほどコミュニティの質がよくなるのは当然な訳で、住民はそうしたことを非常に誇りにしています。スカースデールのおみやげは、ボランティアの神髄だったという日本人の声もこれまで何度か耳にしたものです。
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お父さんコーチやリーダーが大活躍
アメリカの公立学校は、教育水準が高いといわれている学区ほどPTA活動が盛んです。スカースデールのPTAでは、学校時間帯の活動はお母さんたちが主流、放課後や週末はスポーツ・コーチ、ボーイスカウトのリーダーなど、お父さんたちの活躍が目立ちます。
お父さんコーチは、普段は医者、弁護士、会社員といった、それぞれの分野で多忙を極めている人ばかり。では皆さんどうやって時間をつくっているのでしょう。1週間に1、2回の練習や試合には、しっかりと時間通りに姿を見せ、どうしても本人が来られない場合には、代理のお父さんが駆けつけます。
こうしたアメリカのお父さんたちを見ていると、彼らが、わが子の成長に対する自らの役割にはっきりした信念を持っているのがよくわかります。彼らにとって育児とは、母親に任せるものではなく、両親の共同作業なのです。
一方、日本人のお父さんたちの仕事にかける時間やエネルギーは企業の繁栄をもたらし、世界に冠たる経済大国日本の礎となってきました。しかし、仕事に体を奪われるあまり、家庭で父親が不在となっている様子は、スカースデールのような所ではどうしても目立ってしまいます。
私も子どもたちのスポーツ観戦の場で、一緒にいたアメリカ人に、一度も父親があらわれない日本人のチームメートについて、「お父さんはどうして来ないの?」と、尋ねられたことがありました。その人によれば、スポーツ競技活動がPTAで運営され、コーチ陣もすべてボランティアである以上、試合を観戦し、味方チームに声援を送るのも、絶対に不可欠なPTA活動の一環であるというのです。
家長としての確固たる「父親の座」を維持するため、たゆまぬ努力を惜しまないこうしたアメリカのお父さんたち。米国のネガティブなニュースの多い中では、彼らの姿は伝わりにくい面があるようですが…。
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若者に混じって学ぶ中高年の楽しみ
私は現在、ニューヨーク郊外、ブロンクスビルという町にある、サラ・ローレンス大学の修士課程に在籍しています。専攻は、「ノンフィクション
ライイティング」。エッセイ、紀行文、回想録など、小説以外の分野を専門とする作家養成のプログラムです。
入学を決心したときは、大学を卒業してから30年近く経っていたこともあり、若い人たちについていけるかという心配がありました。でも、ニューヨークに長く暮らしながら、どうしても満足に書けない英語に、私自身いつも苛立ちを感じていましたので、末の娘が大学を卒業したのを機に、思いきって勉強に専念してみることにしたのです。
大学院に入って驚いたのは、私より年上の人たちが何人もいることでした。同級生の大半は大学を出て何らかの職(出版関係、ジャーナリストなど) に就いたあと、仕事を続けながら勉強している人たちで、多くは20代後半から30代前半。40代、50代も少なくなく、中には70代の人もいます。
私は、地域でいくつかのボランティア団体に参加していますが、そこでも70代、80代の人たちが多く活躍し、その強敵なエネルギーにはいつも驚かされています。たとえば、スカースデール平和運動団体のミッキー・シンセンさん。今年84歳になる彼女ですが、反戦の集会を企画したり、大統領や上院、下院議員に手紙を書くなど、日夜疲れも見せずに走り回っています。つい最近、こんな風に嘆いていました。「子どもたちが、夜はなるべく運転しないでって。年寄り扱いして失礼だわ。」
こうした元気な高齢者のあり方を見ていますと、いくつになっても活躍する場所があり、新たな出発のできるアメリカの一面を、改めて素晴らしいと思います。私にとっても何十年ぶりかの学生生活は、とても充実したものとなっています。とくに選択科目のひとつとして4年制の大学(同じ敷地にあります) で受講している「日本文学」では、わが子よりも若い人たちと学ぶことで、張り合いがあるだけでなく、明治から昭和にかけての代表的な日本の文学が、アメリカの大学生にどんな風に理解されるかなどを知ることもでき、興味深いものがあります。
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未成年の飲酒問題で問われる親の責任
ウエストチェスターの閑静な住宅地では、ここのところ高校生の飲酒が大きな社会問題になっています。最近では、60人の友だちと自宅でパーティーを開き、アルコールやマリファナを楽しんでいたところを警察の手入れにあったという事件が、新聞で大々的に取り上げられました。
その前には、学校で行われた放課後のパーティーに200人近くもの生徒が酔って参加するという事件がありました。このときは、パーティーの前に何人かの家に集まって飲んだそうで、子どもたちの間で人気のある飲み物は、ウォッカにオレンジジュースを混ぜた「スクリュー・ドライバー」だったとか。
会場に現われたときはすでに酪酎状態で、ひとりでは歩くこともできない子が続出。通報で駆けつけた警察の手配で、救急病院に運ばれた子どもたちも少なくなかったようです。このパーティーに参加した生徒の大半が下級生(
9,10年生=日本の中3、高1)だったことも、若年化する飲酒問題のあらわれとして、住民を震撼させました。
友だちの家のパーティーで飲んでいて、酔った勢いでケンカになり、同級生を殺害するという悲劇もありました。このときは、マリファナなどを吸ったことを隠すために警察に嘘の供述をした子どもたちのことも問題になりました。こうした未成年の飲酒やドラッグ問題(ニューヨーク州では、21歳までが未成年とされていて、お酒を買うため、身分証明を偽造する子どもも少なくありません)に取り組むため、学校や地区は、さまざまな話し合いの場を設けています。
子どもたちには飲酒やドラッグの弊害が、親には監督のあり方が啓蒙されていますが、ウエストチェスター司法機関では、自宅で開かれる子どもたちのパーティー
で飲酒やドラッグを容認する親たちに対する厳しい処罰も検討されています。
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日本文化を伝える総合的な学習
ジャパン・オン・ウィールズ(J.O.W.)は、スカースデール周辺で日米交流を目的として企画したボランティア・プログラム。車で学校や老人ホームなどを訪問し、「日本」を届けるところから、この名前がつきました。先日はそのJ.O.W.で、数名の日本人の母親と一緒にニューロシェル公立小学校の2年生の社会科授業を訪問しましたので、その様子を紹介します。
アメリカでは、2年生か3年生の社会科の時間に「日本」を勉強する小学校が多く、ニューロシェル学区も例外ではありません。
この4年ほど、毎年5月になると勉強の総仕上げのような意味から、私たちに声をかけていただいています。今回は先生の希望で、簡単な日本語を教えたあと、紙芝居の『桃太郎』を演じました。
その前に
まず子どもたちに「日本」について知っていることを聞きました。すると、全員の子どもたちが元気よく手を挙げて、地理や気候、食生活などに関して、驚くほどの知識を披露。それぞれがつくった「俳句」を得意げに読み上げ、同行した日本人の母親たちを、大いに感動させました。
アメリカの小学校には日本のような一定の教科書がありません。学習指導要領は州が制定したガイドラインに沿って各学区の教育委員会が決定し、最終的には教師の裁量に任せるという方法です。訪問したクラスでは、子どもたちにインターネットや図書館での調査を自分なりにまとめさせ、考える力をつけさせていました。
すべての児童が同じ方法で学習するわけではありませんし、同じ学年でも先生によって教え方がまちまちです。教科書に沿わない教え方は、システムに慣れない日本人には戸惑いを与えることも多いようです。今の日本でいう「総合的な学習」のようなものですね。
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増える子ども相手のネット犯罪
インターネットの普及はいろいろな面で便利になった反面、これまで考えられなかったような多くの犯罪を生み出しています。中でもとくに親たちを震撼とさせているのが、見ず知らずの子どもを対象にした大人の犯罪です。
スカースデールの地方新聞は、先日、アメリカン・オン・ライン社のチャットルームを使って、13 歳の女の子を誘惑した隣町の元教師の事件を、一面で大きく扱いました。
今回この教師が実際に自宅に連れ込もうとした相手は、子どものフリをしてチャット・ルームに張り込んでいた囮の機動部隊だったので、幸い犯罪は未然に防がれましたが、彼の余罪は少なくないと見られ、現在取り調べを受けています。スカースデール学区では、数年前に小学校5年生担任の男性教師が、わいせつ罪で逮捕された事件がありました。この教師も、子どもを誘惑するためにアメリカン・オンライン社のチャットルームを利用していました。彼の場合もFBIの
囮とは気づかず、マイアミ在住の13歳の少年とデートの約束をし、週末を利用してマイアミまで飛んだあと約束のマクドナルドに出かけたところで逮捕されています。モニターされていた会話の内容から、これまでの余罪も発覚、実刑になりました。
彼は、子どもたちや親にとても人気があったので、彼がペドファイル (小児異常性愛着)だったらしいというニュースは関係者に深い衝撃を与えました。学区に犠牲者はいなかったにせよ、インターネットを使えばどんな遠くの子どもでも簡単に誘惑できるという事実も、親を不安に陥れたのです。
子どもに対するインターネットの犯罪は、ギリギリのところで機動部隊のモニターなどで、未然に防がれている一面もありますが、実際には、その綱をくぐるケースが少なくないようです。
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全ての人が祝う独立記念日
7月4日は、アメリカの独立記念日。各地でおこなわれた様々な記念行事と並んで私どもの町内会でも今年75年目になる恒例のパレードが行われました。このパレードはたまたま主発点が我が家の向かい側にある4つ角になっているため、ブラスバンドの練習や周辺から集まってくる子供たちの興奮した声で今年も朝からいながらにして祭り気分にひたることが出来ました。我が家の子供たちが小さかった頃は、家族全員でパレードに参加したものでしたが、長じてからは沿道で近所の子供たちに手を振ったり、笑顔をおくったりするのを楽しみにしています。
パレードには日頃スーツに身を固めて真面目そうなお父さんたちが、アメリカ国旗でデザインした帽子やシャツで身を固めたり、子供たちも小さなアメリカ国旗を自転車中に飾ったり、自由の女神の格好をしたりと、それぞれの趣向をこらして参加します。町の消防車やパトロールカーもたくさんの国旗をなびかせながらあとに続きます。
パレードの終着地は、10ブロックほど離れた公園で、ここで3時間ほど町内会が用意したゲームを楽しんだりピクニックをしてお開き。夜はそれぞれの家庭で近所の人たちを招いてバーベキューをしたあと、町営のプールで野外コンサートに耳を傾け、それに続く打ち上げ花火を楽しむ、というのがこの町内の人たちの独立記念日の典型的な一日の過ごし方になっています。
日頃イラク戦争の是非で対立している人たちも、民主党と共和党による政策の違いで相容れない人たちも、独立記念日だけは別です。この日だけはすべてのアメリカ人が文化の違いや政治に対する考えの違い、人種の違いを越えてあらため愛国心をかきたてられる日となっているようです。
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ニューヨーク大停電と新たなテロの恐怖
8月14日午後4時10分、コンピュータが突然作動しなくなりました。故障かなと思い、電気のスイッチを入れてみると、これも反応しません。
スカースデール周辺では、その前夜も3時間ほど地域一帯が停電しましたので、またかと思いながら隣人のジニーさんに声をかけると、彼女もちょうどトランジスタ二フジオに耳を傾けたところでした。すると、「カナダからコネティカットにかけて東海岸一帯に大停電が起きていて、大都市はパニック状態」というアナウンサーの切迫した声が流れてきました。「ひょっとしてインディアン・ポイントがテロに遭ったのかしら?」と、不安げなジニーさん。インディアン・ポイントとは、ウエストチェスター北方、マンハッタンから約亜キロ離れたブツキヤナンという町の、ハドソン川沿いにある電子力発電所です。
放射能が漏れていたことがわかって一時閉鎖されていたこともあり、その安全性については以前から取りざたされていました。ブッシュ大統領が昨年の一般教書の中で、「アル・カイダの隠れ家から、米国全土の電子力、水力発電所の場所や爆破するための化学物質のつくり方などの書類が見つかった」と触れたことから、住民の不安が広がっていました。
貿易センターと同じようなテロがもしこの発電所に向けられていたとしたら、80キロ半径に住む2000万人以上が被害に遭うはずです。これまでに、発電所の半
径16キロに住む住民には、非常時の避難案なども発表されていたため、2人の幼児を抱えるジニーさんとしては、随分そのことを心配していたのです。
間もなく、ニューヨーク知事や大統領の談話で、停電がテロとも原子力発電所とも無関係なことがわかりましたが、今回の事件は、改めてニューヨークの人々に9月11日の脅威を思い起こさせたようです。
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コミュニティ・カレッジの必要性
アメリカには公立、私立の4年制の大学のほか、地域に住む人たちのために授業料の大半を税金や企業の寄付などでまかなう2年制のコミュニティ・カレッジがあります。授業料が安く、門戸が広く開放されているため、ここで2年の教養科目を終えて4年制に編入したり、専門技術を身に付けたい人、一旦就職をした人たちが簡単に復学できる教育施設として、貴重な存在となっています。
スカースデールから5マイルほど離れたパルハラという町にあるウエストチェスター・コミュニティ・カレッジ(WCC)は、一般社会人向けの教養講座などを含むと、学生稔数2万人を越える全米最大規模のコミュニティ・カレッジです。ウエストチェスターは、全米でも有数の移民の多い地区で、自治体が「すべての移民に均等な教育と就職の機会を与えることは、結果的には地域全体を潤す」としていることも、WCCを大規模にしている一因となっています。地元民のためだけではなく、新しい移民が一日も早くアメリカで一人立ちできるよう、地元の企業や病院などと碇摸した、さまざまな職業訓練コースが提供されているからです。
英語圏ではない国からの移民も多いため、外国人対象の英語教育も充実しています。私の知人にもボランティア英語教師として学校をサポートしている人たちが少なくありません。学生の平均年齢は28・2歳。一般の大学に比べてかなり高いのは、一旦就職してから復学したり、大人になって移民して、新たに教育を受けたりする人たちが多いからでしょう。地域一体のサポートで成っているアメリカのコミュニティ・カレッジのありようは、外国人の増えている日本社会にも、何らかの指針になるのではないでしょうか。
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ユダヤ教の新年を迎える儀式
ユダヤ歴で5764年日にあたる今年の 「ロシュ・ハシャナー」(新年)は、9月訪日 (金)の日没に始まりました。わが家もキャンドルを灯し、ワインとハラ(おきげ髪のように組んだパンで、普通は楕形
、新年の問はエンドレス・ライフを象徴して円形にする)でお祈りを捧げ、りんごをハチみつに浸すなど、甘いものの多い料理を食べたあと、ユダヤ教会の礼拝に参加しました。
ロシュ・ハシャナの10日あとには「ヨム・キプア」と呼ばれる「あがないの日」がやってきます。この日、13歳以上の成人は、一日じゅう断食をして一年間の行いを反省し、教会ではホロコーストや広島、長崎の犠牲者などにも特別追悼の祈りを捧げます。
ロシュ・ハシャナからヨム・キプアまでの間は、いわゆるユダヤ教の新年にあたり、スカースデールのようにユダヤ系アメリカ人の多い所では、あちこちで「ハッ
ピー・ニューイヤー」 や「シャナ・トバー」「グッド・ヨンテフ」などの挨拶が交わされます。
今年のヨム・キプアでは、私どもの教会でちょっとした異変がありました。ラビ(ユダヤ教会指導者)の説法の最中に、突然防火ベルが鳴り響いたのです。
9月11日の多発テロ事件やイスラエルとパレスティナ紛争悪化の影響で、ユダヤ教会はどこも最近物々しいほどの警戒態勢の中で礼拝が行なわれていますので、けたたましく響きわたったベルの音は人々の肝を冷やすに十分なものでした。
全員が外に避難している問に消防署がかけつけ、作動ミスだったことがわかりましたが、安堵すると同時に、改めて紛争中の国の人々に、思いを馳せずにはいられない出来事でした。
さて、私の連載は今回をもって終了させていただきます。一年間おつきあいいただき、ありがとうございました。
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