Scarsdale
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服部剛丈君の死、無駄にはしない: 同級生らの衝撃痛感   (読売, Nov.19, 1993)

私はこの夏、「スカースデール・ジャパン・フェスティバル」の一環として企画された「日本訪問」プログラムで応募者の中から選ばれた高校生6人と教師3人を引率して日本へ行った。日米理解を草の根レベルで促進するというこの試みは、アメリカ側の参加者にとっても彼らを受け入れた日本側にとっても意義深い企画であったように思う。

11日間の日程を終了し、参加者を成田で送り出した後、私は服部剛丈君のご両親にお会いするために名古屋を訪れた。服部君は、将来「日米の架け橋」となることを夢見てAFS交換留学生としてアメリカへきたが、一年の予定がわずか2ヶ月で無惨にも射殺されてしまったのだ。その方法こそ違え、「日本訪問」プログラムに参加したアメリカ人高校生の目的は服部君と同じ相互理解だった。

彼らの日本での様子に接しながら、彼らが将来必ずその経験を生かすだろうと言う思いを強めるにつけ、私は服部君の死に一層の怒りを感じ、その死を決して無駄にしたくないと言うご両親の強い願いにせめて何らかの形でお手伝いをさせていただきたいと言う思いにかられたのだった。

父親の政一さんと母親の美恵子さんは、服部君の位牌を奉った仏壇の前で淡々と銃規制署名運動や日本にやってくる留学生を援助するための「ヨシ基金」設立について説明されたあと、服部君の人となりについてアルバムや本人の死後作成されたという旭が丘高校同窓生の文集などを見せてくださった。

そうしたものに目を通しながら、あらためて感じたのは、ご両親の無念さは言うまでもなく、同級生たちの服部君を失った悲しみと事件に対する衝撃の大きさだった。

「服部君とアメリカへ」と題して彼らが発行した文集には、学業優秀だった服部君、ラグビー選手として大活躍した服部君、おっちょこちょいで人を笑わせるのが大好きだった服部君の人となりを現すエピソードが満載されていて涙をそそられた。

将来は日米交流に一役買いたいと願っていた服部君がよりにもよってなぜあのような形で逝かねばならなかったのかとう言う、事件に対する憤りや、アメリカ社会の緩やかな銃規制に対する同級生たちの問いかけも胸をうたずにはおかないものだった。

そして服部君の人となりや日本人高校生のこうした真摯な訴えは、アメリカにも伝えるべきことのように思われたので、ご両親にお話してアメリカに在住する日本人高校生に文集の一部を翻訳してもらうことにしたのだった。

その後スカースデール周辺の日本人高校生に訳していただいた旭が丘高校の文集は、アメリカ人からの手紙などと一緒に小冊子にまとめて今回クリントン大統領に手渡された。

服部君の人となりをよく知ってもらうことで彼の死が統計上の単なる一犠牲者として扱われないことを切に望むものである。

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