Scarsdale
Image

服部君射殺事件のヘイメーカー夫妻訪日: 「銃を捨てることも開拓魂だ」 (ニューヨーク読売新聞) July 8, 1994

昨年十月バトンルージュで射殺された服部剛丈君(当時十六歳)のホストペアレントであったへイメーカー夫妻が現在日本を訪問中だ。神戸のホームステイ団体「甲南あじさい友の会」の招待を受けたもので、夫妻は、七月二日から三週間、神戸をかわぎりに、東京、名古屋、京都などで、銑暴力の根絶を目指すアメリカ市民の新しい運動にについて講演を行う。また、名古屋では、服部君の母校旭丘高校を訪問するほか、「ヨシの会」が主催する対話集会、「海を越えて、銃をこえて」にも出席する。「ヨシの会」は、将来日米の懸け橋になるのが夢だったという服部君の遺志をついだ 両親によって役立されたものだ。集会の準備に忙しい名古屋の服部きんと、ヘイメーカー夫妻にそれぞれ電話で話を聞いた。
                  
今回の集会には、二年前ボストンで凶弾に倒れた松田岩男元学長(当時七十二歳)を悼む中京大学も協賛しており、さる三月にロサンゼルスで強盗に射殺された伊東琢磨さん(当時十九才)と松浦剛さん(当時十九歳)の遺族や友人らも招待されている。日本からの嘆願書を直接大統領に手渡すという大役を果たし一息ついたばかりだった服部夫妻にとって、最近の伊東さん、松浦さんの死は自分のことのように胸の痛む事件だったようだ。 服部美恵子さん(46)は、「本当に残念なことです。アメリカから銃のなくなる日が一日も早く訪れることを以前にまして祈らずには いられません」と電話の向こうで声をつまらせる。美恵子きんはまた、銃暴力の根絶をめざすヘイメーカー夫妻について、「夫妻 は、私たちが日本で署名運動、を始めた後、全米銃器暴力阻止連合(CSGV)を通じてアメリカでも同じような運動を始めて下さいました。そのことが私たちにとってどれほど励ましと支えになったか分かりません。」と話す。

ルイジアナ州立大学物理学教授であるリチャード・ヘイメーカー氏(54)の日本訪問は今度で二回目。今回は、銃規制に 関する講演や集会のほか、各地で物理学のセミナーも行うのでその日程はぎっしりだ。 ヘイメーカー夫妻は「アメリカでは、服部夫事の日本での署名運動、米国内でのハットリ=へイメーカー嘆願書運動をきっかけとし て今新しい銃規制運動が広がっている。これまでもCSGVなどが長年地道に銃撤去を訴えてきたが、子供はおろか、外国人の犠牲者までが相次いでいる。今や国民の大多数が危機感を持っている。議会で七年も懸案となっていたブレイディ法案(銃購入時に五日間の 待機期間を義務づける法案がやっと立法化きれたのも、そうした動きを反映するもの」と語る。

アメリカの伝統を急に変えることは難しい。ナショナル・ライフル・アソシエーション(NRA)などの政治的圧力はいまだに兼えを見せていないためだ。ヘイメーカー夫妻は、服部夫妻が持参した百七十万の署名と共に、アメリカで自らが中心となって始めた「ハットリ=ヘイメーカー嘆願書」(銃購入手方法を厳しくするもの)を大統領に渡した後も、CSGVとの協力でネットワーク作りに奔走している。銃規制を求 めて立ち上がった個人や組織と密接な連絡を取り合い、今年の母の日にバトンルージュで行われたデモ行進には、三万八千通の嘆願書を携えて参加した。署名運動は全米各地で今後も続けられる。九月十三日にはワシントンDCで無言のデモ行進、十月十六日には全米各地で ヨシ・デー(服部君の死を悼み、銃規制連動の強化を確認する日)の開催、十一月十一日から十三日までは再びワシントンDCでCSGV草の根集会などが予定されている。

ヘイメーカー夫妻は最後に「開拓時代、アメリカには確かに銃は必要だったが、今、その銃を勇気をもって捨てることも新しい時代の開拓魂だ」と静かだが力強い口調で語っていた。


Top  その他の服部君、銃規制運動関係記事 




Image
Image
image