Scarsdale
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服部夫妻も参加した全米銃暴力阻止連合会議: アメリカのガン コントロールへの歩み OCS, January 21, 1994

アメリカの銃規制運動私はさる11月16日、「合衆国における安易な銃砲入手方法に抗議する」という170万人の嘆願書を携えて渡米した服部夫妻にお会いするため、ワシントンを訪れた。服部夫妻にはこの夏日本でお目にかかり、その後服部君の同窓生が発行した文集の英語版を少しお手伝いさせていただいたいきさつなどから渡米の際には再会を約束していたこと、米国での署名運動に自らも参加した者として、その結果を見届けたいという思いもあったので、夫妻を迎えてワシントンで開かれた全米銃暴力阻止連合の会議に出席することにしたのだった。

会議では、服部君のホスト・ペアレントであったヘイメーカー夫妻をはじめとして、米国内での署名運動に各地で協力した多くの団体や個人が一堂に会し、その結果報告と今後の活動の方法などについての話しあいが行われた。最初に挨拶に立った全米銃暴力阻止連含の事務局長、マイケル・ベアード氏は、服部・ヘイメーカー夫妻の運動を全面的に支持してきたいきさつについて次のように語った。

「アメリカでは現在毎日90人以上が銃によって死亡しており、そのうち13人は子供である。ヨシの死後、服部夫妻はこの悲劇を絶対に繰り返さないとして署名運動に立ち上がったが、それは夫妻と彼らを支持した日本人にとってこうした無意味な死はたとえ一人であっても許すことが出来なかったからだ。ヨシの死がもたらした日本でのその後の運動は、子供の殺害でさえまるで日常茶飯事のようになってしまったアメリカの悲劇、世界のどこにもこれ程銃暴力の蔓延する国はないという事実、をあらためてアメリカ人に考えさせ、アメリカでの草の根の運動をより広げるきっかけとなった。その意味で悲しみを乗り越えて立ち上がった服部夫妻の勇気に感謝する」

銃暴力阻止運合は18年前に設立され、以来銃規制を強めるために全米で闘ってきた団体である。続いてヘイメーカー氏が、自らもアメリカ国内で署名運動を始めたいきさつを説明し、運動に参加したすべての人に感謝の言葉を述べた。クリスマスカードのリストをもとに始めたという夫奏の運動は日を追って全米に広がり、最終的に13万入以上の署名が集まった。大統領あてに書かれたヘイメーカー夫妻と友人からの嘆願書には、事件について説明した後、次のようなことが書かれている。

服部夫妻「ヨシの悲劇的な死は、我々に外国人の目を通して自分たちの国を見る必要があることを示唆している。平和な民主主義国家がこれほどまでに暴力的であってよいのか、多様性と豊かさに恵まれている国民が、このような恐怖の中で生きることに甘んじてよいかが間われているのである。ヨシを撃った男の家に銃がなかったら、彼はどうしただろうかと考えるとき、安易に銃の入手出来るこの国の状態は再検討されるべきだという結論に達せざるを得なかった。このままでは将来間違いなく起こり得る、何千件という同様の事故、あるいは事件を回避する方法を講じていただくよう大統領に嘆願する」

大統領あてのヘイメーカー夫妻の嘆願書は服部夫妻のそれと同様、米国の銃入手の安易さに対する抗議であって、それ自体が直接法案に結びつくものではない。これについて、服部夫妻は報道陣の質問にこたえて、「息子の死が日本で騒がれなかったら問題にもされなかったアメリカの状態は異常だと感じた。我々の仕事は署名運動という形で大統領とアメリカの人々に銃社会の現状を再考していただくことだった」と語っている。

大統領に嘆願書を渡す服部夫妻トヘイメーカー家の人たち会議のあった日の午後、服部夫妻は、ヘイメーカー夫妻、マイケル・ベアード氏と共に日米の嘆願書を携えて大統領に会見した。その時の様子はその夜議会で開かれたリセプションでも報告されたが、美恵子夫人が全米銃暴力阻止運合のスティッカーを大統領の胸に貼ったことを伝え、英語で「Do you think I did a good job?」と問い掛けると、参列者から一斉に「You did!」の声が沸き上がり、「You did a good job!」の大合唱となった。

これまで長い間アメリカで銃規制運動を続けてきた人たちにとって、最愛の息子を失った悲しみに負けず、大統領に直接会って日米の民衆の声を伝えた服部夫妻の行動は、まさしく賞賛に値するものだったようだ。リセプションにかけつけた何人かの下院議員も夫妻の勇気をたたえ、その運動は今後必ずアメリカで受け継いでいくと語っていた。

その後服部夫妻は銃暴力阻止連合の人たちと共に議員へのロビー活動、学校や病院訪問など精力的にそのスケジュールをこなして帰国した。帰国前にワシントンからいただいたお二人からの手紙には「大統領に会うという大役を果たしてほっとしていること、アメリカの現状を憂慮し、改革をしていこうとしているアメリカの良心のような方々に何人もお会いすることが出て嬉しかったこと」などが綴られていた。

夫妻の婦国後、ブレイディ法案がやっと上院でも可決されたが、アメリカ社会の銃撮制の再検討を求めたその夫妻にとって、これは銃撤去の第一歩としてすばらしいニュースではなかったろうか。ブレイディ・ビルとはレーガン大統領を狙って発砲された銃を受けて身障者となった当時のホワイトハウス報道官ジェームズ・ブレイディの名を冠したもので、銃購入時に5日間の待機期間を義務づけるという法案だ。こうした緩やかな規制でさえ法案の可決に7年もかかった背景には、アメリカ社会のなりたちや依然として議会に強い力を持つナショナル・ライフル・アソシエーション[NRA)などのロビー活動砂影響もあるが、現状を憂慮するアメリカ人の声は今や議会を動かす程大きくなっているのではないかと思う。

剛丈君が亡くなって1週間目で始めたという服部夫妻の署名運動は、こうして今回の渡米で一応の区切りとなったが、夫妻のこの2年の動きに私はアメリカに住む者として心からのお礼を申し上げたい。銃の蔓延するアメリカ社会の問題はそのまま私たちにも直接ふりかかって来る問題であるからだ。夫妻の勇気ある行動を私もまたアメリカに住む者として、今後何らかの形で引き継いでいくことが出来ればと思っている。


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