Scarsdale
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原爆と真珠湾攻撃  OCS, Sep. 1996

今年(千九百九十六年)の夏もチェイス・パークでは例年どおり、原爆投下に対するビジル(無言の意志表示)が行われた。私も参加したが、そのあと、スカースデール・インクアイアラー新聞に「歴史の事実を無視するビジル参加者たち」と言う題で、次のような投稿記事が掲載された。

原爆反対のビジル「ビジル参加者は、広島を追悼することで、五十余年前のアメリカの行為を批判しているが、彼らは、当時の日本人が真珠湾でまたアジアの各地で行った数知れない残虐行為を知っているのか。知っていれば日本人に好意的なこうしたビジルなど出来る筈がない。私は、当時はそのチャンスに恵まれなかったが、機会があればいつだって、日本に原爆を投下しただろう。アメリカの最大の間違いは当時の為政者に目がなくて、戦後日本の復興を助けたことだ。五十余年後にはアメリカの企業が次々に日本人に乗っ取られることも知らないで。ビジル参加者のように歴史から学ばない者は、再び同じ間違いを繰り返すに違いない。」

これに対して私はすぐ次のような反論をした。(英文:
Hiroshima vigil's goal not to criticize U.S)

ミスター・ブロックの意見に反論する前に、広島の原爆展示に使われている写真の説明文を一部を紹介したい。

『広島に投下された原爆で苦しむ人は当時だけではなく今も続いており、終世尽きることのないこの苦しみが原爆を非人間的な武器たらしめているのである。しかし、我々は、原爆が戦争によってもたらされたものであることを決して忘れてはならない。日本もまたその植民地政策によって多くの国で、多くの人々に対して残虐行為を繰り返してきた。我々は原爆だけではなく、戦争と戦争に至るまでの道も忘れてはならないのだ。我々には歴史に学び、戦争を再び繰り返さないと言う責任が課されている。』 

私は過去五年、この思いを胸に抱きながらビジルに参加してきた。日本で生まれ育った私は原爆の悲惨さをよく知っているが、一方過去二十六年アメリカに暮らして、第二次大戦中に日本がアメリカにもたらした痛みも理解出来るようになったように思う。

スカースデールのヒッチコック教会で行われた真珠湾五十周年の日米合同追悼礼拝には私も参加させていただいたが、そこで私は何人かの日本人に、「アメリカ人と一緒に犠牲者を追悼することで、十二月七日は、今後私にとっても記念すべき日となった」と言うのを聞いた。ヒッチコック教会が日本人とアメリカ人が痛みを分かち合って共に祈ろうと呼び掛けたことが、私のその翌年からのビジルへの参加となったのである。それから五年私は毎年ビジルに参加しているがそれはアメリカを批判するためではなく、犠牲者を追悼し、原爆投下の事実を忘れないことで、どの国であれ人類が再びこうした武器を使うことのないよう祈るためである。

ミスター・ブロックは、日本の復興に手を貸した当時のアメリカの為政者には目がなかったとするがその意見に私は賛同出来ない。ほとんどの日本人は戦後アメリカに救済されたことをいまだに忘れてはいない。私は湾岸戦争の当時、よく戦時中の日本を思ったものだが、それはイラクの人たちが当時の日本の国民と同じように政府の都合のいい発表を信じこまされていたからである。アメリカは、そうして日本の復興、民主主義の確立に手を貸しただけではなく、飢餓からも多くの人を救った。今隣人としてここに住んでいる日本人もアメリカの助けなしには、生まれていなかったかも知れない。その寛大な政策で結果的に日本をアジアで最も熱心な自国の支持国とし、貿易面もでも有数なパートナーにしたアメリカはそのことに大きな誇りを持つべきだと私は思う。」

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